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|出生地=肥後國
 
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== 経歴 ==
 
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済々黌卒。渡鮮して『朝鮮時報』、『漢城日報』を創設。
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元治元年10月23日肥後国生れ。昭和23年8月2日歿。号漢城、漢城學人。済々黌卒。渡鮮して『朝鮮時報』、『漢城日報』を創設。明治28年閔妃殺害事件に連坐。のち帰郷して[[佐々友房]]の帷幕に参じ、国権党を結成した。35年衆議院議員(当選14回)。大同倶楽部、立憲同志会、憲政会を経て、昭和2年立憲民政党に参加、7年国民同盟を組織して総裁となる。
閔妃殺害事件に連座。
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この間逓信相、内相歴任。
後帰郷して佐々友房の帷幕に参じ、国権党を結成した。
 
明治35年衆議院議員(当選14回)。大同倶楽部、立件同志会、憲政会を経て、昭和2年憲民政党に参加、昭和7年国民同盟を組織して総裁となる。
 
この間逓信省、内相歴任。
 
  
 
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2024年1月11日 (木) 16:24時点における最新版

(あだちけんざう)


基本情報

よみがな あだちけんぞう
職業 政治家
生年 1864
没年 1948
出生地 肥後國
別名 漢城、漢城學人



経歴

元治元年10月23日肥後国生れ。昭和23年8月2日歿。号漢城、漢城學人。済々黌卒。渡鮮して『朝鮮時報』、『漢城日報』を創設。明治28年閔妃殺害事件に連坐。のち帰郷して佐々友房の帷幕に参じ、国権党を結成した。35年衆議院議員(当選14回)。大同倶楽部、立憲同志会、憲政会を経て、昭和2年立憲民政党に参加、7年国民同盟を組織して総裁となる。 この間逓信相、内相歴任。


作品










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