「南條文雄」の版間の差分
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2023年2月18日 (土) 19:02時点における版
(なんでうぶんいう)
基本情報
よみがな | なんじょうぶんゆう |
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職業 | 梵語学者、文学博士 |
生年 | 1849 |
没年 | 1927 |
出生地 | 美濃国大垣 |
別名 | 恪丸、恪順、僧恪、碩果、碩果生、松坡 |
経歴
嘉永2年5月12日美濃国大垣生れ。昭和2年11月9日歿。幼名恪丸、のち恪順。通称僧恪。大垣誓運寺住職溪英順(号溪毛芥)の三男。明治4年南條神興の養嗣子となり得度、文雄と改名。京都高倉學寮に学ぶ。9年東本願寺の本山留学生としてイギリスに渡り、オックスフォード大学でマックス・ミュラーに師事。「太明三藏聖教目録」を共訳刊行した他、梵文の「無量壽經」、「阿彌陀經」を師と共訳して、欧州学界に貢献、学位を得て17年帰朝、東京大谷大学教授。翌年東京大学梵語学講師、34年真宗大学教授(のち学監)、大正3年大谷大学学長となる。少時菱田海鷗に漢学を学び、実父及び伯兄溪良順(号溪雲嶂)の影響を受け漢詩を能くした。
作品
- 大家佛敎演説集 ( 村上專精、島地默雷、棚橋一郞、美野田覺念居士、赤松連城、田中智學、佐治實然、吉谷覺壽、大内靑巒、辰巳小次郞、平松理英、高田道子、前波善孝、合著 田島敎惠筆記 増補出版 明治25年4月5日 法藏館 京都 興敎書院 ) → 「大家佛敎演説集」をさがす
- 大家説敎演説 ( 雲英晃耀、吉谷覺壽、小栗栖香頂、合著 多田了和編 明治25年8月18日 京都 西村法藏館 ) → 「大家説敎演説」をさがす
- 男女學生氣質 (附錄學生消夏法) ( 磯邊彌一郞、坪内雄藏(坪内逍遙)、戸川殘花、棚橋絢子、幸田露伴、村上專精、三輪田眞佐子、鈴木券太郞、佐治實然、山脇ふさ子(山脇房子)、石黑忠悳、奧村五百子、遲塚麗水、鳩山春子、中川謙次郞(中川謙二郞)、南岩倉具威、本多庸一、棚橋一郞、磯江潤、小杉天外、留岡幸助、山縣悌三郞、高島平三郞、本田增次郞、前田慧雲、寺田勇吉、井上圓了、ノオスター、島田三郞、松村介石、島田蕃根、後藤宙外、松浦政泰、坂本盛德、加納久宜、古川流泉、田中治六、梅原融、融道玄、加藤咄堂、下田次郞、境野黄洋、中島德藏、根本正、手島精一、平山藤次郞、加藤弘之、小笠原長生、澤柳政太郞、久津見蕨村、合著 新公論社―高島大圓(高嶋米峰)編 明治39年3月29日 鶏聲堂書店 井洌堂 ) → 「男女學生氣質」をさがす
- 忘己録 ( 明治40年5月19日 井冽堂 ) → 「忘己録」をさがす
- 叡山講演集 ( 松岡道治、芝生佐市郞、仁井田益太郞、末廣重雄、阪本則俊、松本文三郞、松村任三、靑柳榮司、和辻春次、佐藤鐵太郞、隈德三、井上密、荒木寅三郞、岡村司、井上哲次郞、勝本勘三郞、狩野直喜、三上參次、内藤虎次郞(内藤湖南)、田島錦治、志賀重昂、新渡戸稻造、足立文太郞、三宅雄二郞、白鳥庫吉、合著 小池信美編 明治40年11月10日 大阪朝日新聞社 ) → 「叡山講演集」をさがす
- 静思録 ( 明治41年3月23日 井冽堂 ) → 「静思録」をさがす
- 新論語 ( 島田三郞、幸田露伴、三宅雄二郞(三宅雪嶺)、前田慧雲、高津柏樹、小柳司氣太、戸川殘花、遠藤隆吉、松村介石、兒島獻吉郞、合著 成功雜誌社編 明治43年6月10日 成功雜誌社 ) → 「新論語」をさがす
- 宗祖觀 ( 松本文三郞、谷本富、桑木嚴翼、西田幾多郞、建部遯吾、内藤虎次郞(内藤湖南)、鈴木大拙、村上專精、渡邊良法、蜷川龍夫、近角常觀、林正因合著 明治44年4月25日 京都 小笠原秀實編刊 ) → 「宗祖觀」をさがす
- 安心録 ( 大正元年8月13日 文成社 ) → 「安心録」をさがす
- 通俗佛教講話 ( 大正3年4月3日 中央書院 ) → 「通俗佛教講話」をさがす
- 慰安と修養 ( 村上專精、前田慧雲合著 神長倉眞民編 大正6年2月21日 泰山房 ) → 「慰安と修養」をさがす
- 信念の發揮 ( 昭和2年2月1日 大雄閣 ) → 「信念の發揮」をさがす