「高野六郞」の版間の差分
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2023年8月25日 (金) 22:18時点における最新版
(たかのろくらう)
基本情報
よみがな | たかのろくろう |
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職業 | 歌人、随筆家、公衆衛生学者、医学博士 |
生年 | 1884 |
没年 | 1960 |
出生地 | 茨城県 |
別名 | 靑坡 |
経歴
明治17年9月3日茨城県生れ。昭和35年12月15日歿。号靑坡。明治43年東京帝国大学医科大学卒。公衆衛生学者、医学博士。伝染病研究所から北里研究所に転じ、のち所長。慶應義塾大学医学部教授を務め、また内務省、厚生省(予防局長)で結核予防、救癩、製薬業界の指導等に従事。一方妻春子と共に短歌を能くし、隨筆に長じた。
作品
- 熱海と五十名家 ( 巖谷小波、石川半山、池上秀畝、伊豆凡夫、石渡眞三郞、石渡喜一、柰園定禎、稻田得眞、蜂須賀正韶、濱田三郞、坂東三代吉、西忠義、富田保一郞、德富猪一郞(德富蘇峰)、鳥尾泰子、戸水寛人、富永惠博、大谷仁兵衞、勝田蕉琴、田中萃一郞、谷道耕太郞、曾我祐準、宋秉畯、坪内雄藏(坪内逍遙)、村上直次郞、鵜澤辰之助、宇都宮三郞、内田信也、内田市郞左衞門、野田久七、野田惣八、山科禮藏、山脇房子、松方正義、牧野伸顯、松村介石、股野琢(股野藍田)、萬里哲門、二見平右衞門、後藤新平、五來欽造(五來欣造)(目次では五未鋭造)、後藤庄作、江原素六、寺島元子、荒木十畝、有島武郞、淺野長勳、佐藤進、三浦梧樓、水上泰生、水谷良雄、飛田周山、森田退藏、鈴木雨溪、合著 齋藤和堂編著 坪内逍遙校閲 德富蘇峰序 大正9年12月30日 静岡 富永寛明刊 精和堂発売 ) → 「熱海と五十名家」をさがす
- 續一日一文 ( 荻原井泉水、野口米次郞、富本憲吉、江見水蔭、松村武雄、鹿子木孟郞、花柳章太郞、小酒井不木、梅原眞隆、吉植庄亮、市川三升(五世)、小笠原長生、安倍能成、金子洋文、山田邦子、伊原靑々園、辰野隆、西川一草亭、白井喬二、木村毅、安成二郞、蒲原有明、懶靑楓(津田靑楓)、西村眞次、山田中、松村松年、堀口大學、中原綾子、近藤浩一路、グレン・ショウ、正宗得三郞、澤村專太郞(澤村胡夷)、日夏耿之介、高安吸江(高安六郞)、宇垣一成、上司小劍、中村憲吉、片上伸、岡本綺堂、澤木四方吉、安達謙藏、高野辰之、中川紀元、堀田義次郞、志賀重昂、畑耕一、高田保馬、小川千甕、窪田空穗、橋本關雪、小野武夫、中川一政、橋田東聲、川上漸、長谷川伸、富田溪仙、前田河廣一郞、林市藏、大田黒元雄、波多野承五郞、戸川秋骨、茅野蕭々、太宰施門、向軍治、横山有策、石井柏亭、正木不如丘、生方敏郞、平塚らいてう、合著 鎌田敬四郞編 大正15年11月5日 大阪 朝日新聞社 ) → 「續一日一文」をさがす
- 淸潔第一 ( 内務省衞生局編 昭和2年9月10日 大日本私立衞生會 ) → 「淸潔第一」をさがす
- 隨筆 醫者の黑燒 ( 昭和11年5月29日 サイレン社 ) → 「醫者の黑燒」をさがす
- 隨筆 醫者の黑燒 ( 改訂 昭和18年2月25日 輝文堂書房 ) → 「醫者の黑燒」をさがす
- 戰爭と科學 ( 宮本武之輔、浦本政三郞、宮城音五郞、石原純、佐藤弘、高山英華、諸井貫一、榧木寬之、嶺一三、田中芳雄、厚木勝基、常岡俊三、有賀輝、永井彰一郞、櫻井高景、内田祥三、田宮猛雄、平山嵩、萩原兼文、眞邊春藏、相三衞、濱田稔、眞鍋嘉一郞、嵯峨根達吉、玉蟲文一、桑木彧雄、竹内松次郞、龜山直人、丘英通、彌永昌吉、緒方規雄、林髞、有山兼孝、渡邊慧、渡瀨正麿、吉川晴十、山口吉郞、石田四郞、片岡正治、近藤政市、山崎毅六、近藤康男、三浦伊八郞、相川春喜、佐立健雄、細谷省吾、高木憲次、堤直溫、宮本忍、内村祐之、呉健、柿内三郞、喜多源逸、二神哲五郞、山口昇、合著 帝國大學新聞社編 昭和16年8月25日 帝國大學新聞社 ) → 「戰爭と科學」をさがす
- お臍の効用 ( 昭和22年5月25日 北光書房 ) → 「お臍の効用」をさがす
- 北里柴三郎 ( 昭和37年5月5日 日本書房 <現代伝記全集> ) → 「北里柴三郎」をさがす