「村上直次郞」の版間の差分
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2024年3月25日 (月) 14:35時点における最新版
(むらかみなほじらう)
基本情報
よみがな | むらかみなおじろう |
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職業 | 野外交渉史学者、文学博士 |
生年 | 1868 |
没年 | 1966 |
出生地 | 豊後国玖珠郡 |
経歴
慶応4年2月4日豊後国玖珠群生れ。昭和41年9月17日歿。明治28年帝国大学文科大学史学科卒。欧州留学後、東京外国語学校教授、東京帝大史学科編纂官を経て、大正7年東京音楽学校校長、昭和3年台北帝国大学教授、同大文政学部長を歴任。15年上智大学教授(21年総長就任、27年教授専任)。帝国学士院会員。
作品
- 織田信長 ( 黑板勝美、久米邦武、河野廣中、川住鋥三郞、瀨川秀雄、竹越與三郞、渡邊世祐、正木直彦、大町桂月、佐佐木信綱、幸田露伴、田中義成、山路愛山、大森金五郞、横井古城、辻善之助、小川煙村、長谷川泰、新井白石、太田錦城、小瀨甫庵、賴山陽、合著 小川多一郞(小川煙村)、村田九皐編 明治44年5月10日 隆文堂書店 <偉人研究> ) → 「織田信長」をさがす
- 熱海と五十名家 ( 巖谷小波、石川半山、池上秀畝、伊豆凡夫、石渡眞三郞、石渡喜一、柰園定禎、稻田得眞、蜂須賀正韶、濱田三郞、坂東三代吉、西忠義、富田保一郞、德富猪一郞(德富蘇峰)、鳥尾泰子、戸水寛人、富永惠博、大谷仁兵衞、勝田蕉琴、高野六郞、田中萃一郞、谷道耕太郞、曾我祐準、宋秉畯、坪内雄藏(坪内逍遙)、鵜澤辰之助、宇都宮三郞、内田信也、内田市郞左衞門、野田久七、野田惣八、山科禮藏、山脇房子、松方正義、牧野伸顯、松村介石、股野琢(股野藍田)、萬里哲門、二見平右衞門、後藤新平、五來欽造(五來欣造)(目次では五未鋭造)、後藤庄作、江原素六、寺島元子、荒木十畝、有島武郞、淺野長勳、佐藤進、三浦梧樓、水上泰生、水谷良雄、飛田周山、森田退藏、鈴木雨溪、合著 齋藤和堂編著 坪内逍遙校閲 德富蘇峰序 大正9年12月30日 静岡 富永寛明刊 精和堂発売 ) → 「熱海と五十名家」をさがす
- シーボルト先生渡來百年記念論文集 ( 武藤長藏、呉秀三、ドクトル・コイペル、田中長三郞、伊東尾四郞、白井光太郞、山脇タカ、合著 堀内秀太郞序 大正13年4月27日 長崎・シーボルト先生渡來百年記念會編刊 ) → 「シーボルト先生渡來百年記念論文集」をさがす
- 德川時代に於ける日歐の關係 ( 大正15年9月 千葉縣立佐倉中學校 ) → 「德川時代に於ける日歐の關係」をさがす
- 臺灣文化史説 ( 幣原坦共著 昭和5年10月26日 台北 臺灣文化三百年記念會 ) → 「臺灣文化史説」をさがす
- 對外交易の史的囘顧 ( 昭和15年11月28日 啓明會事務所 <講演集> ) → 「對外交易の史的囘顧」をさがす
- 六昆王山田長政 ( 昭和17年4月30日 朝日新聞社 <朝日新選書> ) → 「六昆王山田長政」をさがす
- 日本と比律賓 ( 昭和25年7月20日 朝日新聞社 <朝日新選書> ) → 「日本と比律賓」をさがす
訳著
- アンジロウの書翰 ( 訳 神谷武夫解説 キリシタン文化研究會編 昭和24年5月25日 白鯨社 <キリスト敎傳來四百年記念> ) → 「アンジロウの書翰」をさがす
- 長崎オランダ商館の日記 ( 第一輯 昭和31年1月10日 第二輯 32年1月30日 第三輯 33年8月23日 岩波書店 ) → 「長崎オランダ商館の日記」をさがす