操作

「末松謙澄」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
42行目: 42行目:
 
|}}
 
|}}
  
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=五十名家語錄
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=勝安芳([[勝海舟]])、[[尾崎忠治]]、[[渡邊國武]]、[[加藤弘之]]、[[田中正造]]、[[小原重哉]]、[[伊東巳代治]]、[[井上哲次郞]]、[[大井憲太郞]]、[[榎本武揚]]、[[外山正一]]、阿部井磐根([[安部井磐根]])、[[谷干城]]、[[岸田吟香]]、[[村田保]]、[[犬養毅]]、[[島地默雷]]、[[元田肇]]、[[田中芳男]]、[[近衞篤麿]]、山田喜之助([[山田奠南]])、[[黑田長成]]、重野安繹([[重野成齋]])、[[二條基弘]]、[[田口卯吉]]、[[志賀重昂]]、[[榎本通明]]、[[品川彌二郞]]、[[千家尊福]]、[[水野遵]]、[[福羽美靜]]、[[杉浦重剛]]、[[富田鐵之助]]、[[小山健三]]、[[金井之恭]]、[[三浦安]]、[[江原素六]]、[[長谷川泰]]、巖谷修([[巖谷一六]])、[[長谷塲純孝]]、[[三宅秀]]、[[中野武營]]、[[兒玉淳一郞]]、[[神鞭知常]]、[[安藤則命]]、[[三崎龜之助]]、[[久保田讓]]、[[鈴木無隱]]、[[副島種臣]]、[[伊藤博文]]、[[大隈重信]]、合著  [[平田骨仙]]撰
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=明治31年10月13日
 +
|出版社=平田勝馬刊 鐵華書院
 +
|}}
 
{{作品|
 
{{作品|
 
|冠称=
 
|冠称=

2022年6月3日 (金) 21:16時点における版

(すゑまつけんちよう)


基本情報

よみがな すえまつけんちょう
職業 漢詩人、法学者、政治家、文学博士、法学博士
生年 1855
没年 920
出生地 豊前国
本名 末松謙澄かねずみ (初めのりずみ)
別名 受卿、謙一郞、房澄、靑萍、滴翠書閣、ケー、エス、劍一、春泓小史、王月萍、笹波萍二、謙、謙澄生、靑萍生、靑萍迂人、靑萍迂夫、靑萍迂謙、靑萍逸人、靑萍謙、SUYEMATZ KENCHIO



経歴

安政2年8月20日豊前国生れ。大正9年10月6日歿。本名謙澄かねずみ (初めのりずみ)字受卿、幼名謙一郞、初名房澄。号靑萍、滴翠書閣、筆名ケー、エス、劍一、春泓小史、王月萍、笹波萍二、謙、謙澄生、靑萍生、靑萍迂人、靑萍迂夫、靑萍迂謙、靑萍逸人、靑萍謙、SUYEMATZ KENCHIO等。師範学校中退、東京日日新聞社入社、のち伊藤博文の知遇を得、明治11年外交官としてイギリスにわたり、ケンブリッジ大学で文学・法学を修める。19年帰国、演劇改良會を組織し、伊藤の次女生子と結婚。その後衆議院議員、法制局長官、逓相、内相、等歴任。貴族院議員、枢密顧問官も務めた。子爵。


作品










PDF

18585.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ