「三浦梧樓」の版間の差分
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2022年6月29日 (水) 18:37時点における最新版
(みうらごろう)
基本情報
よみがな | みうらごろう |
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職業 | 陸軍軍人 |
生年 | 1846 |
没年 | 1926 |
出生地 | 長門国萩 |
経歴
弘化3年11月15日長門国萩生れ。大正15年1月28日歿。旧姓五十部、諱一貫、通称五郞、梧樓。変名三浦一郞、号觀樹、觀樹居士。文久元年三浦道庵の家督を継ぐ。3年奇兵隊に入り、戊辰先頭に加わる。明治4年陸軍少将。9年広島鎮台司令官となり、萩の乱、西南役に従軍。11年中将、15年陸軍士官学校校長、21年予備役、宮中顧問官兼学習院院長。28年駐韓公使時、閔妃殺害事件(乙未政変)を起こして逮捕せられるも無罪。爾後政界の黒幕的存在。貴族院議員、枢密顧問官を歴任。子爵。
作品
- 維新戰役實歴談 ( 兒玉如忠(兒玉恕忠)、杉山素輔、林友幸、木梨精一郞、佐藤保介、宇野友治、山本楳治、藤山敬三、小島荒一、松村源一、賀屋義矩、齋藤太郞(陸軍軍人)、道十六、山田仙三、白井胤良、大谷靖、増山作輔、沖原光孚、小縣少太郞、林練作、谷村小作、梨羽時起、河村正之、梅地庸之允、林顯、江村忠精、山縣有朋、合著 大正6年10月14日 維新戰歿者五十年祭事務所編刊 ) → 「維新戰役實歴談」をさがす
- 熱海と五十名家 ( 巖谷小波、石川半山、池上秀畝、伊豆凡夫、石渡眞三郞、石渡喜一、柰園定禎、稻田得眞、蜂須賀正韶、濱田三郞、坂東三代吉、西忠義、富田保一郞、德富猪一郞(德富蘇峰)、鳥尾泰子、戸水寛人、富永惠博、大谷仁兵衞、勝田蕉琴、高野六郞、田中萃一郞、谷道耕太郞、曾我祐準、宋秉畯、坪内雄藏(坪内逍遙)、村上直次郞、鵜澤辰之助、宇都宮三郞、内田信也、内田市郞左衞門、野田久七、野田惣八、山科禮藏、山脇房子、松方正義、牧野伸顯、松村介石、股野琢(股野藍田)、萬里哲門、二見平右衞門、後藤新平、五來欽造(五來欣造)(目次では五未鋭造)、後藤庄作、江原素六、寺島元子、荒木十畝、有島武郞、淺野長勳、佐藤進、水上泰生、水谷良雄、飛田周山、森田退藏、鈴木雨溪、合著 齋藤和堂編著 坪内逍遙校閲 德富蘇峰序 大正9年12月30日 静岡 富永寛明刊 精和堂発売 ) → 「熱海と五十名家」をさがす
- 觀樹將軍縦横談 ( 熊田葦城記 大正13年12月10日 實業之日本社 ) → 「觀樹將軍縦横談」をさがす
- 觀樹將軍囘顧錄 ( 政敎社編 大正14年3月10日 政敎社 ) → 「觀樹將軍囘顧錄」をさがす
- 觀樹片影 ( 昭和7年1月28日 神奈川 中島眞雄編刊 ) → 「觀樹片影」をさがす