巖谷一六
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基本情報
よみがな | いわやいちろく |
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職業 | 書家、漢詩人 |
生年 | 1834 |
没年 | 1905 |
出生地 | 近江国 |
別名 | 修、誠卿、辨治、立的。一六居士、一六老人、不知老人、古梅、古梅園、古梅居士、古楳、呑澤山人、噏霞樓主人、嵓谷迂堂、蹋霞仙史、迂堂、逸鹿、逸鹿老漁、金粟、金粟道人 |
経歴
天保5年2月8日近江国生れ。明治38年7月12日歿。諱修、字誠卿、幼名辨治、立的。別号一六居士、一六老人、不知老人、古梅、古梅園、古梅居士、古楳、呑澤山人、噏霞樓主人、嵓谷迂堂、蹋霞仙史、迂堂、逸鹿、逸鹿老漁、金粟、金粟道人等。
水口藩侍医巖谷玄通の子。京で医術を修める傍ら中江雪城に書を学ぶ。帰藩後藤本鐵石、松本金堂等と交わり国事に奔走。慶応4年徴士議政官史官となり、当時の詔勅、制令等の多くに筆を執る。のち太政官大書記官、修史館監事、内閣書記官、元老院議官、錦鶏間祇候、貴族院議員等歴任。書は初め巻菱湖流を能くしたが、明治13年来朝の楊守敬に師事して一変、自家一流を成すに至った。また漢詩文にも長じた。巖谷小波の父。
作品
- 行書千字文 ( 明治14年9月11日 山中孝之助刊 ) → 「行書千字文」をさがす
- 三體千字文 ( 明治18年7月 文盛堂 ) → 「三體千字文」をさがす
- 新選往復用文 ( 明治19年4月1日 文玉圃・文選樓 ) → 「新選往復用文」をさがす
- 眞行草千字文 ( 明治24年8月1日 山中孝之助・杉本七百丸刊 ) → 「眞行草千字文」をさがす
- 行書東湖正氣歌 ( 明治25年3月22日 井洌堂・山中孝之助刊 ) → 「行書東湖正氣歌」をさがす
- 四體湊川帖 ( 明治26年9月20日 大阪 田中宋榮堂 ) → 「四體湊川帖」をさがす
- 五十名家語錄 ( 勝安芳(勝海舟)、尾崎忠治、渡邊國武、加藤弘之、田中正造、小原重哉、伊東巳代治、井上哲次郞、大井憲太郞、榎本武揚、末松謙澄、外山正一、阿部井磐根(安部井磐根)、谷干城、岸田吟香、村田保、犬養毅、島地默雷、元田肇、田中芳男、近衞篤麿、山田喜之助(山田奠南)、黑田長成、重野安繹(重野成齋)、二條基弘、田口卯吉、志賀重昂、榎本通明、品川彌二郞、千家尊福、水野遵、福羽美靜、杉浦重剛、富田鐵之助、小山健三、金井之恭、三浦安、江原素六、長谷川泰、長谷塲純孝、三宅秀、中野武營、兒玉淳一郞、神鞭知常、安藤則命、三崎龜之助、久保田讓、鈴木無隱、副島種臣、伊藤博文、大隈重信、合著 平田骨仙撰 本名 明治31年10月13日 平田勝馬刊 鐵華書院 ) → 「五十名家語錄」をさがす
- 聖諭帖 ( 明治43年10月 精華堂法帖店 ) → 「聖諭帖」をさがす
- 一六遺稿 全二冊 ( 明治45年5月緒言 男春生編 無刊記 ) → 「一六遺稿」をさがす