「末松謙澄」の版間の差分
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安政2年8月20日豊前国生れ。大正9年10月6日歿。本名{{ruby|謙澄|かねずみ}}(初めのりずみ)字受卿、幼名謙一郞、初名房澄。号靑萍、滴翠書閣、筆名ケー、エス、劍一、春泓小史、王月萍、笹波萍二、謙、謙澄生、靑萍生、靑萍迂人、靑萍迂夫、靑萍迂謙、靑萍逸人、靑萍謙、SUYEMATZ KENCHIO等。師範学校中退、[[東京日日新聞社]]入社、のち[[伊藤博文]]の知遇を得、明治11年外交官としてイギリスにわたり、ケンブリッジ大学で文学・法学を修める。19年帰国、演劇改良會を組織し、伊藤の次女生子と結婚。その後衆議院議員、法制局長官、逓相、内相、等歴任。貴族院議員、枢密顧問官も務めた。子爵。 | 安政2年8月20日豊前国生れ。大正9年10月6日歿。本名{{ruby|謙澄|かねずみ}}(初めのりずみ)字受卿、幼名謙一郞、初名房澄。号靑萍、滴翠書閣、筆名ケー、エス、劍一、春泓小史、王月萍、笹波萍二、謙、謙澄生、靑萍生、靑萍迂人、靑萍迂夫、靑萍迂謙、靑萍逸人、靑萍謙、SUYEMATZ KENCHIO等。師範学校中退、[[東京日日新聞社]]入社、のち[[伊藤博文]]の知遇を得、明治11年外交官としてイギリスにわたり、ケンブリッジ大学で文学・法学を修める。19年帰国、演劇改良會を組織し、伊藤の次女生子と結婚。その後衆議院議員、法制局長官、逓相、内相、等歴任。貴族院議員、枢密顧問官も務めた。子爵。 |
2022年5月7日 (土) 23:06時点における版
(すゑまつけんちよう)
基本情報
よみがな | すえまつけんちょう |
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職業 | 漢詩人、法学者、政治家、文学博士、法学博士 |
生年 | 1855 |
没年 | 920 |
出生地 | 豊前国 |
本名 | 末松 |
別名 | 受卿、謙一郞、房澄、靑萍、滴翠書閣、ケー、エス、劍一、春泓小史、王月萍、笹波萍二、謙、謙澄生、靑萍生、靑萍迂人、靑萍迂夫、靑萍迂謙、靑萍逸人、靑萍謙、SUYEMATZ KENCHIO |
経歴
安政2年8月20日豊前国生れ。大正9年10月6日歿。本名
作品
- 靑萍詩存 ( 明治19年8月 文學社 ) → 「靑萍詩存」をさがす
- 雄辯大家實地演説集 ( 田口卯吉、末廣重恭(末廣鐵膓)、谷干城、肥塚龍、島田三郞、靑木匡、小崎弘道、福澤諭吉、中村正直、加藤弘之、片山淸太郞、天野爲之、井上哲次郞、棚橋一郞、有賀長雄、添田壽一、大鳥圭介、マルク・ホプキンス、エドモンド・パルク、板垣退助、馬場辰猪、杉浦重剛、尾崎行雄、高田早苗、穗積陳重、佐々木東洋、合著 櫻井鎌造編 明治21年3月2日 石川傳吉刊 正文堂発売 ) → 「雄辯大家實地演説集」をさがす
- 伊藤公國葬餘韻 ( 編 佐佐木信綱、中田敬義選編 明治43年2月25日 自刊 ) → 「伊藤公國葬餘韻」をさがす
- 藤公詩存 ( 纂 明治43年5月17日 博文館 ) → 「藤公詩存」をさがす
- 孝子伊藤公 ( 明治44年1月1日 自刊 博文館発売 ) → 「孝子伊藤公」をさがす