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2022年6月3日 (金) 21:18時点における最新版
(たにたてき)
基本情報
よみがな | たにたてき |
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職業 | 陸軍軍人 |
生年 | 1837 |
没年 | 1911 |
出生地 | 土佐国高岡郡窪川 |
別名 | 申太郞、守部、海南古狂、隈山 |
経歴
天保8年2月11日土佐国高岡郡窪川生れ。明治44年5月13日歿。幼名申太郞、通称守部。号海南古狂、隈山。家祖に谷秦山、父谷景井から文武を学び、のち安井息軒に入門。幕末国事に奔走、戊辰戦に少監察として従軍、明治4年兵部権大丞陸軍大佐、のち少将、熊本鎮台司令長官となる。7年征台の役に従軍、西南役では熊本籠城に成功、中将。爾後陸軍士官学校校長、学習院院長、貴族院議員、農商務相等歴任、子爵。また西村茂樹の後を承けて日本弘道會二代目会長を務めた。
作品
- 雄辯大家實地演説筆記 ( 合著 内山龜太郞編 明治21年2月 京都 改進堂書店 ) → 「雄辯大家實地演説筆記」をさがす
- 雄辯大家實地演説集 ( 田口卯吉、末廣重恭(末廣鐵膓)、肥塚龍、島田三郞、靑木匡、小崎弘道、福澤諭吉、中村正直、末松謙澄、加藤弘之、片山淸太郞、天野爲之、井上哲次郞、棚橋一郞、有賀長雄、添田壽一、大鳥圭介、マルク・ホプキンス、エドモンド・パルク、板垣退助、馬場辰猪、杉浦重剛、尾崎行雄、高田早苗、穗積陳重、佐々木東洋、合著 櫻井鎌造編 明治21年3月2日 石川傳吉刊 正文堂発売 ) → 「雄辯大家實地演説集」をさがす
- 五十名家語錄 ( 勝安芳(勝海舟)、尾崎忠治、渡邊國武、加藤弘之、田中正造、小原重哉、伊東巳代治、井上哲次郞、大井憲太郞、榎本武揚、末松謙澄、外山正一、阿部井磐根(安部井磐根)、岸田吟香、村田保、犬養毅、島地默雷、元田肇、田中芳男、近衞篤麿、山田喜之助(山田奠南)、黑田長成、重野安繹(重野成齋)、二條基弘、田口卯吉、志賀重昂、榎本通明、品川彌二郞、千家尊福、水野遵、福羽美靜、杉浦重剛、富田鐵之助、小山健三、金井之恭、三浦安、江原素六、長谷川泰、巖谷修(巖谷一六)、長谷塲純孝、三宅秀、中野武營、兒玉淳一郞、神鞭知常、安藤則命、三崎龜之助、久保田讓、鈴木無隱、副島種臣、伊藤博文、大隈重信、合著 平田骨仙撰 明治31年10月13日 平田勝馬刊 鐵華書院 ) → 「五十名家語錄」をさがす