操作

「内田魯庵」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
14行目: 14行目:
 
----
 
----
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
慶応4年閏4月5日江戸生れ。昭和4年6月29日歿。本名貢、幼名貢太郞。筆名うちだ、オークボーン、ゼンパチ、ドクトル・トンソン、ふ,ち、ふ・ち、ふぢ、三文字舎金平、不知、不知庵、不知庵主人、不知庵生、世無庵、代々木散人、似呂波生、傍觀子、内田不知庵、内田生、其川子、卯庵主人、古柏陳人、善休、善八、善六、善吉、團然、大窪桃人、戯、撃山生、松羅堂主人、柏木衞門、柏樹生、楠蔭處士、楠蔭處子、江戸川不知庵、無名庵、燕夢、燕夢生、砂邱子、磯頭病客、禾刀子、花の屋、藤の家主人、藤の屋、藤の屋主人、藤庵、藤庵主人、藤生、藤阿彌、蘿主人、蜀紅子、蜀紅生、蠧魚窟、蠧魚窟主人、蠧魚窟善休、貢、越原富雄、郊外生、金平先生、陳列上の隅の善松、駿河呼然、驢阿吽生、魚日庵魯生、魯庵生、魯盦、黑瘦子、A・B・C、DON八、F・C・A、FC生、k・u生、K.U生、M・M等。
+
慶応4年閏4月5日江戸生れ。昭和4年6月29日歿。本名貢、幼名貢太郞。
 
+
 
 +
筆名うちだ、オークボーン、ゼンパチ、ドクトル・トンソン、ふ,ち、ふ・ち、ふぢ、三文字舎金平、不知、不知庵、不知庵主人、不知庵生、世無庵、代々木散人、似呂波生、傍觀子、内田不知庵、内田生、其川子、卯庵主人、古柏陳人、善休、善八、善六、善吉、團然、大窪桃人、戯、撃山生、松羅堂主人、柏木衞門、柏樹生、楠蔭處士、楠蔭處子、江戸川不知庵、無名庵、燕夢、燕夢生、砂邱子、磯頭病客、禾刀子、花の屋、藤の家主人、藤の屋、藤の屋主人、藤庵、藤庵主人、藤生、藤阿彌、蘿主人、蜀紅子、蜀紅生、蠧魚窟、蠧魚窟主人、蠧魚窟善休、貢、越原富雄、郊外生、金平先生、陳列上の隅の善松、駿河呼然、驢阿吽生、魚日庵魯生、魯庵生、魯盦、黑瘦子、A・B・C、DON八、F・C・A、FC生、k・u生、K.U生、M・M等。
 +
 
 
大学予備門、東京専門学校各中退。明治21年、『女學雜誌』に処女評論。34年丸善株式会社書籍部顧問となり、宣伝誌『學の燈』(のち『學燈』)に隨筆多数執筆。[[二葉亭四迷]]と親しく、また[[饗庭篁村]]、[[幸田露伴]]を評価し、[[尾崎紅葉]]・[[硯友社]]には批判的だったのは有名。
 
大学予備門、東京専門学校各中退。明治21年、『女學雜誌』に処女評論。34年丸善株式会社書籍部顧問となり、宣伝誌『學の燈』(のち『學燈』)に隨筆多数執筆。[[二葉亭四迷]]と親しく、また[[饗庭篁村]]、[[幸田露伴]]を評価し、[[尾崎紅葉]]・[[硯友社]]には批判的だったのは有名。
 
----
 
----

2022年10月25日 (火) 15:17時点における版

(うちだろあん)


基本情報

よみがな うちだろあん
職業 小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家
生年 1866
没年 1929
出生地 江戸
本名 内田貢
別名 貢太郞、うちだ、オークボーン、ゼンパチ、ドクトル・トンソン、ふ,ち、ふ・ち、ふぢ、三文字舎金平、不知、不知庵、不知庵主人、不知庵生、世無庵、代々木散人、似呂波生、傍觀子、内田不知庵、内田生、其川子、卯庵主人、古柏陳人、善休、善八、善六、善吉、團然、大窪桃人、戯、撃山生、松羅堂主人、柏木衞門、柏樹生、楠蔭處士、楠蔭處子、江戸川不知庵、無名庵、燕夢、燕夢生、砂邱子、磯頭病客、禾刀子、花の屋、藤の家主人、藤の屋、藤の屋主人、藤庵、藤庵主人、藤生、藤阿彌、蘿主人、蜀紅子、蜀紅生、蠧魚窟、蠧魚窟主人、蠧魚窟善休、貢、越原富雄、郊外生、金平先生、陳列上の隅の善松、駿河呼然、驢阿吽生、魚日庵魯生、魯庵生、魯盦、黑瘦子、A・B・C、DON八、F・C・A、FC生、k・u生、K.U生、M・M



経歴

慶応4年閏4月5日江戸生れ。昭和4年6月29日歿。本名貢、幼名貢太郞。

筆名うちだ、オークボーン、ゼンパチ、ドクトル・トンソン、ふ,ち、ふ・ち、ふぢ、三文字舎金平、不知、不知庵、不知庵主人、不知庵生、世無庵、代々木散人、似呂波生、傍觀子、内田不知庵、内田生、其川子、卯庵主人、古柏陳人、善休、善八、善六、善吉、團然、大窪桃人、戯、撃山生、松羅堂主人、柏木衞門、柏樹生、楠蔭處士、楠蔭處子、江戸川不知庵、無名庵、燕夢、燕夢生、砂邱子、磯頭病客、禾刀子、花の屋、藤の家主人、藤の屋、藤の屋主人、藤庵、藤庵主人、藤生、藤阿彌、蘿主人、蜀紅子、蜀紅生、蠧魚窟、蠧魚窟主人、蠧魚窟善休、貢、越原富雄、郊外生、金平先生、陳列上の隅の善松、駿河呼然、驢阿吽生、魚日庵魯生、魯庵生、魯盦、黑瘦子、A・B・C、DON八、F・C・A、FC生、k・u生、K.U生、M・M等。

大学予備門、東京専門学校各中退。明治21年、『女學雜誌』に処女評論。34年丸善株式会社書籍部顧問となり、宣伝誌『學の燈』(のち『學燈』)に隨筆多数執筆。二葉亭四迷と親しく、また饗庭篁村幸田露伴を評価し、尾崎紅葉硯友社には批判的だったのは有名。


作品




  • 罪と罰  (  訳 ドストイエフスキイ作  不知庵主人名  巻之一 明治25年11月10日 巻之二 26年2月25日  内田老鶴圃 ) → 「罪と罰」をさがす


  • 鳥留好語  (  訳 アンデルセン、アーレン、ポー他作  不知庵主人名  明治26年9月7日  警醒社書店 ) → 「鳥留好語」をさがす



  • めをと  (附錄ヴオルテール「天聲」) (  訳 トオストイ作  内田不知庵名  明治27年5月15日  博文館  <世界文庫> ) → 「めをと」をさがす





文獻



PDF

04028.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ