「山縣五十雄」の版間の差分
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2024年7月29日 (月) 22:04時点における版
(やまがたいそを)
基本情報
よみがな | やまがたいそお |
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職業 | 英文学者 |
生年 | 1869 |
没年 | 1959 |
出生地 | 近江国 |
別名 | 山縣生、山縣螽生、硯湖亭秋月、螽湖子、螽湖漁史、螽湖生、閑水、鶴山樵客、ISOH YAMAGATA、IY生 |
経歴
明治2年3月16日近江国生れ。昭和34年3月15日歿。筆名山縣生、山縣螽生、硯湖亭秋月、螽湖子、螽湖漁史、螽湖生、閑水、鶴山樵客、ISOH YAMAGATA、IY生等。帝国大学文科大学英文科中退。兄山縣悌三郞が創刊した「少年園」「少年文庫」の編輯に従事。のち「萬朝報」記者を経て、明治42年朝鮮総督府の機関誌発行所セウル・プレス社に入り、頭本元貞の後を承けて社長兼主筆となる。大正11年帰国、翌年「ヘラルド・オブ・エイシヤ」主筆、その後外務省嘱託など。
作品
- 東北西南 探涼案内 ( 合著 萬朝報探涼記者―片山友彦編 山形螽湖名 明治34年7月18日 博文館 ) → 「東北西南 探涼案内」をさがす
- 朝報社有志講演集 第貮輯 ( 幸德秋水・木下尚江合著 明治36年7月18日 萬成社編刊 ) → 「朝報社有志講演集 第貮輯」をさがす
- むら雲 ( 夏目漱石、三宅雪嶺、佐藤紅綠、志賀矧川(志賀重昂)、江見水蔭、泉鏡花、藤岡東圃(藤岡作太郞)、藤井紫影(藤井乙男)、内村鑑三、登張竹風、戸川秋骨、德田秋聲、得能文、鳥谷部春汀、千葉秀浦、沼波瓊音、小栗風葉、小柳柳々子(小柳司氣太)、米津鐵平、高濱虚子、大谷是空、眞山靑果、高須梅溪(高須芳次郞)、中内蝶二、上田敏、姊崎嘲風、佐々醒雪、齋藤弔花、合著 小川芋錢、佐藤生巢挿絵 大町桂月、笹川臨風、白河鯉洋、樋口龍峽共編 山縣螽湖名 明治42年2月5日 日高有倫堂 ) → 「むら雲」をさがす
- 我が自慢話 ( 長尾逸郞、三原治、鶴田則國、山田叩雨、山村信吉、放浪生、石井畔松、宮地憲三、新島半次郞、稻葉正英、愚堂、小林靑鳥、田中好藏、中村湖畔、倉橋愛介、加藤縫子、小山麓浪、菅野善三郞、高村增雄、KT生、平栗芳一、吉賀泣怒、和田垣謙三、中村ひで、蘆田慶治、成瀨涓、德光學、中野操、合著 朝報社編輯局選 中央書院編輯局編 大正3年8月13日 中央書院 <朝報懸賞文庫 第壹編> ) → 「我が自慢話」をさがす
- 回想の内村鑑三 ( 德富蘇峰、長谷川如是閑、正宗白鳥、志賀直哉、武者小路實篤、長與善郞、安倍能成、大内兵衞、柳田泉、山川均、石川三四郞、荒畑寒村、杉山元治郞、沖野岩三郞、大久保利謙、林茂、川崎庸之、丸山眞男、遠山茂樹、家永三郞、秀村欣二、下村寅太郞、宇田道隆、羽原又吉、大島正滿、O・ケーリー、小澤三郞、隅谷三喜男、藏原惟人、向坂逸郞、下程勇吉、前田多門、野上彌生子、昇曙夢、落合太郞、鈴木限三、佐波亘、齋藤勇、羽仁吉一、吉田絃二郞、加納久郞、山崎匡輔、成澤玲川、天達文子、龜井勝一郞、中野好夫、杉木喬、山口誓子、加藤楸邨、福田淸人、大塚久雄、松田智雄、前田護郞、關根正雄、ジャン・ハウズ、前田陽一、エミル・ブルンナー、氷上英廣、合著 鈴木俊郞編 昭和31年3月26日 岩波書店 ) → 「回想の内村鑑三」をさがす