「小川琢治」の版間の差分
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2022年6月3日 (金) 00:04時点における最新版
(をがはたくぢ)
基本情報
よみがな | おがわたくじ |
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職業 | 地質学者、地理学者、理学博士 |
生年 | 1870 |
没年 | 1941 |
出生地 | 紀伊国田辺 |
別名 | 如舟 |
経歴
明治3年5月紀伊国田辺生まれ。昭和16年11月15日歿。旧姓淺井。明治29年帝国大学理科大学地質学科卒。農商務省地質調査所に入り国内各地の地質図を作製。また佐川榮次郞、井上禧之助、田村英太郞、巨智部忠承と共に「百萬分一大日本帝國地質圖説明書」を著わした他、「日本群島地質構造論」等の長論考を続々と発表。41年京都帝国大学文学部教授となり、地理学講座を担当。大正10年には理学部地質学教室を創設、日本群島の地誌学を講じた。日本地質学会会長、帝国学士院会員。小川芳樹、貝塚茂樹、湯川秀樹、小川環樹の父。漢詩を能くし、「桑蓬集」がある。他に「市町村大字讀方名彙」、「西宮附近地質調査報告」、「日本群島」等。
作品
- 百萬分一大日本帝國地質圖説明書 ( 佐川榮次郞、井上禧之助、田村英太郞、巨智部忠承共著 明治33年6月25日 農商務省地質調査所 ) → 「百萬分一大日本帝國地質圖説明書」をさがす
- 品梅記 ( 靑木正兒、岡崎文夫、顧曲老人(狩野直喜)、靑瓢老人(藤井乙男)、靑陵生(濱田靑陵)、不痴不慧生(内藤湖南)、豹軒陳人(鈴木虎雄)、豐岡圭資、神田鬯盦(神田喜一郞)、落葉庵(樋口功)、天鵲(田中慶太郞)、洪羊盦(大島直友)、那波利貞、合著 彙文堂―大島直友編 如舟名 大正8年9月15日 京都 彙文堂書店 ) → 「品梅記」をさがす
- ダンテの研究 ( 黑田正利、坂口昂、上田敏、大賀壽吉、山川丙三郞、紫榔生、厨川白村、濱田耕作(濱田靑陵)、新村出、甲陰生(坂口昂)、靑陵生(濱田靑陵)、KM生、旭江(大賀壽吉)、合著 京都文學會編 大正10年9月18日 京都 星野書店 ) → 「ダンテの研究」をさがす
- 市町村大字讀方名彙 ( 大正14年1月25日 成象堂 ) → 「市町村大字讀方名彙」をさがす
- 大阪文化史 大大阪記念講演集 ( 黑板勝美、喜田貞吉、三浦周行、西田直二郞、三上參次、幸田成友、上田萬年、新村出、内藤虎次郞(内藤湖南)、藤村作、濱田耕作(濱田靑陵)、關一、合著 大阪毎日新聞社編 大正14年8月20日 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社 ) → 「大阪文化史 」をさがす
- 西宮附近地質調査報告 ( 上治寅次郞共著 大正15年3月 無刊記 ) → 「西宮附近地質調査報告」をさがす
- 桑蓬集 ( 昭和5年5月27日 自刊 ) → 「桑蓬集」をさがす
- 日本群島 ( 昭和19年9月20日 弘文堂書房 ) → 「日本群島」をさがす