「笹川臨風」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす (→作品) |
(→作品) |
||
157行目: | 157行目: | ||
|書名=むら雲 | |書名=むら雲 | ||
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
− | |共著者名=[[大町桂月]]、[[白河鯉洋]]、[[ | + | |共著者名=[[大町桂月]]、[[白河鯉洋]]、[[樋口龍峽]]共編 [[夏目漱石]]、[[三宅雪嶺]]、[[佐藤紅綠]]、志賀矧川([[志賀重昂]])、[[江見水蔭]]、[[泉鏡花]]、藤岡東圃([[藤岡作太郞]])、藤井紫影([[藤井乙男]])、[[内村鑑三]]、[[登張竹風]]、[[戸川秋骨]]、[[德田秋聲]]、[[得能文]]、[[鳥谷部春汀]]、[[千葉秀浦]]、[[沼波瓊音]]、[[小栗風葉]]、小柳柳々子([[小柳司氣太]])、[[米津鐵平]]、[[高濱虚子]]、[[大谷是空]]、[[眞山靑果]]、高須梅溪([[高須芳次郞]])、[[中内蝶二]]、[[上田敏]]、山縣螽湖([[山縣五十雄]])、[[姊崎嘲風]]、[[佐々醒雪]]、[[齋藤弔花]]、合著 [[小川芋錢]]、[[佐藤生巢]]挿絵 |
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
− | |刊行年= | + | |刊行年=明治41年2月5日 |
|出版社=日高有倫堂 | |出版社=日高有倫堂 | ||
|}} | |}} |
2021年7月13日 (火) 13:45時点における版
(さゝがはりんぷう)
基本情報
よみがな | ささがわりんぷう |
---|---|
職業 | 史論家、小説家、美術研究家、邦楽研究家、文学博士 |
生年 | 1870 |
没年 | 1949 |
出生地 | 東京 |
本名 | 笹川種郎 |
別名 | ふたらの山人臨風、三々公子、含翠軒、栩々公子、臨風子、臨風學人、臨風生、珊々子 |
経歴
明治2年8月7日東京生れ。昭和24年4月13日歿。明治29年東京帝国大学文科大学国史学科卒。在学中大野洒竹等と筑波會を興し句作。31年雑誌「帝国文學」編集に関与。34年宇都宮中学校校長、42年文藝革新會を結成、のち明治大学・東洋大学・駒澤大学各教授歴任。また
作品
- 支那小説戯曲小史 ( 明治30年6月10日 景華堂 ) → 「支那小説戯曲小史」をさがす
- 日本地氣論 ( 本名 再版 明治31年3月15日 普及舎 <新撰百種> ) → 「日本地氣論」をさがす
- 支那文學史 ( 本名 明治31年8月2日 博文館 <帝國百科全書> ) → 「支那文學史」をさがす
- 美文散文 巌下滴泉 ( 合著 石橋愛太郞編 明治32年9月18日 大學館 <名家文庫> ) → 「美文散文 巌下滴泉」をさがす
- 岳飛 ( 明治32年12月13日 博文館 <世界歴史譚> ) → 「岳飛」をさがす
- 雨絲風片 ( 明治33根9月3日 博文館 ) → 「雨絲風片」をさがす
- 元禄時勢粧 ( 明治34年4月30日 博文館 ) → 「元禄時勢粧」をさがす
- 中等教科日本文學史 ( 本名 明治34年5月6日 文學社 ) → 「中等教科日本文學史」をさがす
- 遊侠傳 ( 明治34年9月28日 文武堂 ) → 「遊侠傳」をさがす
- 奈良朝 ( 本名 明治34年10月3日 博文館 ) → 「奈良朝」をさがす
- 俳諧講演集 ( 沼波瓊音、吉岡向陽(吉岡鄕甫)、宮島五丈原、得能秋虎(得能文)、吉丸眞古刀(吉丸一昌)、長池骨、佐々醒雪、芳賀矢一、大町桂月、國府犀東、合著 筑波會編 明治38年3月8日 金港堂書籍株式會社 ) → 「俳諧講演集」をさがす
- 時代と人物 ( 明治41年7月10日 春陽堂 ) → 「時代と人物」をさがす
- むら雲 ( 大町桂月、白河鯉洋、樋口龍峽共編 夏目漱石、三宅雪嶺、佐藤紅綠、志賀矧川(志賀重昂)、江見水蔭、泉鏡花、藤岡東圃(藤岡作太郞)、藤井紫影(藤井乙男)、内村鑑三、登張竹風、戸川秋骨、德田秋聲、得能文、鳥谷部春汀、千葉秀浦、沼波瓊音、小栗風葉、小柳柳々子(小柳司氣太)、米津鐵平、高濱虚子、大谷是空、眞山靑果、高須梅溪(高須芳次郞)、中内蝶二、上田敏、山縣螽湖(山縣五十雄)、姊崎嘲風、佐々醒雪、齋藤弔花、合著 小川芋錢、佐藤生巢挿絵 明治41年2月5日 日高有倫堂 ) → 「むら雲」をさがす
- 南朝正統論 ( 本名 明治44年3月17日 春陽堂 ) → 「南朝正統論」をさがす
- 支那小説戯曲小史 ( 明治30年6月10日 景華堂 ) → 「支那小説戯曲小史」をさがす
- 南嶺哀話 悟道の跡 ( 昭和3年 苅萱堂 ) → 「南嶺哀話 悟道の跡」をさがす