「南條文雄」の版間の差分
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2021年5月31日 (月) 20:13時点における版
(なんでうぶんいう)
基本情報
よみがな | なんじょうぶんゆう |
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職業 | 梵語学者、文学博士 |
生年 | 1849 |
没年 | 1927 |
出生地 | 美濃国大垣 |
別名 | 恪丸、恪順、僧恪、碩果、碩果生、松坡 |
経歴
嘉永2年5月12日美濃国大垣生れ。昭和2年11月9日歿。幼名恪丸、のち恪順。通称僧恪。大垣誓運寺住職溪英順(号溪毛芥)の三男。明治4年南條神興の養嗣子となり得度、文雄と改名。京都高倉學寮に学ぶ。9年東本願寺の本山留学生としてイギリスに渡り、オックスフォード大学でマックス・ミュラーに師事。「太明三藏聖教目録」を共訳刊行した他、梵文の「無量壽經」、「阿彌陀經」を師と共訳して、欧州学界に貢献、学位を得て17年帰朝、東京大谷大学教授。翌年東京大学梵語学講師、34年真宗大学教授(のち学監)、大正3年大谷大学学長となる。少時菱田海鷗に漢学を学び、実父及び伯兄溪良順(号溪雲嶂)の影響を受け漢詩を能くした。
作品
- 忘己録 ( 明治40年5月19日 井冽堂 ) → 「忘己録」をさがす
- 叡山講演集 ( 松岡道治、芝生佐市郞、仁井田益太郞、末廣重雄、阪本則俊、松本文三郞、松村任三、靑柳榮司、和辻春次、佐藤鐵太郞、隈德三、井上密、荒木寅三郞、岡村司、井上哲次郞、勝本勘三郞、狩野直喜、三上參次、内藤虎次郞(内藤湖南)、田島錦治、志賀重昂、新渡戸稻造、足立文太郞、三宅雄二郞、白鳥庫吉、合著 小池信美編 明治40年11月10日 大阪朝日新聞社 ) → 「叡山講演集」をさがす
- 静思録 ( 明治41年3月23日 井冽堂 ) → 「静思録」をさがす
- 安心録 ( 大正元年8月13日 文成社 ) → 「安心録」をさがす
- 通俗佛教講話 ( 大正3年4月3日 中央書院 ) → 「通俗佛教講話」をさがす
- 慰安と修養 ( 村上專精、前田慧雲合著 神永倉眞民編 大正6年2月21日 泰山房 ) → 「慰安と修養」をさがす
- 信念の發揮 ( 昭和2年2月1日 大雄閣 ) → 「信念の發揮」をさがす