「中村正直」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす (→作品) |
(→作品) |
||
40行目: | 40行目: | ||
|}} | |}} | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=點註王法論 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=[[南摩綱紀]]共合評 [[市川榮山]]點駐 [[鳥尾小彌太]]著 | ||
+ | |別名=中村敬宇名 | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=明治15年3月 | ||
+ | |出版社=自刊 四海堂 | ||
+ | |}} | ||
{{作品| | {{作品| | ||
|冠称= | |冠称= |
2023年10月30日 (月) 21:18時点における版
(なかむらまさなほ)
基本情報
よみがな | なかむらまさなお |
---|---|
職業 | 儒者、英学者、文学博士 |
生年 | 1832 |
没年 | 1891 |
出生地 | 江戸 |
別名 | 釧太郞、敬輔、敬太郞、敬宇、敬宇學人、敬齋、梧山、無思散人、無思陳人、無所爭齋、超然樓、中村敬宇、中邨敬宇 |
経歴
天保3んdん5月26日江戸生れ。明治24年6月7日歿。幼名釧太郞、敬輔、通称敬太郞。号敬宇、敬宇學人、敬齋、梧山、無思散人、無思陳人、無所爭齋、超然樓、中村敬宇、中邨敬宇。昌平坂学問所に学び、安政2年教授、文久2年幕府儒官、慶応2年イギリスに渡る。4年に帰国し静岡学問所教授、明治5年大蔵省出仕。翌年私塾同人社を開き、明六社に加わる。のち東京大学教授、元老院議官、貴族院議員等歴任。
作品
- 西稗雜纂 ( 第一集 明治7年3月 第二集 9年3月 同人社蔵版 ) → 「西稗雜纂」をさがす
- 皮膚新論 ( 約
嘉約翰
口述 林湘東筆述 明治8年8月 瑞穗屋蔵梓 ) → 「皮膚新論」をさがす
- 點註王法論 ( 南摩綱紀共合評 市川榮山點駐 鳥尾小彌太著 中村敬宇名 明治15年3月 自刊 四海堂 ) → 「點註王法論」をさがす
- 雄辯大家實地演説筆記 上巻 ( 關直彦、加藤弘之、外山正一、寺尾壽、杉亨二、和田大圓、近藤眞琴、川田剛(川田甕江)、渡邊鼎、三好退藏、細川潤次郞、G.F.Verdeck、平松理英、坪内雄藏(坪内逍遙)、合著 明治20年6月1日 内山龜太郞編刊 京都 改進堂・鶴聲社 ) → 「雄辯大家實地演説筆記 上巻」をさがす
- 雄辯大家實地演説集 ( 田口卯吉、末廣重恭(末廣鐵膓)、谷干城、肥塚龍、島田三郞、靑木匡、小崎弘道、福澤諭吉、末松謙澄、加藤弘之、片山淸太郞、天野爲之、井上哲次郞、棚橋一郞、有賀長雄、添田壽一、大鳥圭介、マルク・ホプキンス、エドモンド・パルク、板垣退助、馬場辰猪、杉浦重剛、尾崎行雄、高田早苗、穗積陳重、佐々木東洋、合著 櫻井鎌造編 明治21年3月2日 石川傳吉刊 正文堂発売 ) → 「雄辯大家實地演説集」をさがす
- 少年訓 (第壹集) ( 河本重次郞、田中稻城、西村正三郞、嘉納治五郞、高津鍬三郞、鈴木力(鈴木天眼)、坪内雄藏(坪内逍遙)、落合直文、合著 山縣悌三郞編 明治33年8月19日 内外出版協會 ) → 「少年訓 (第壹集)」をさがす
- 少年訓 第二集 ( 國府寺新作、柴四朗(東海散士)、澤柳政太郞、宮崎八百吉(宮崎湖處子)、佐々木政吉、吉岡哲太郞、志賀重昂、能勢榮、井上哲次郞、蘆野敬三郞、合著 山縣悌三郞編 明治33年10月5日 内外出版協會 <少年園叢書> ) → 「少年訓 第二集」をさがす