「蓑田胸喜」の版間の差分
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+ | |刊行年=昭和12年2月10日 | ||
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2023年6月27日 (火) 20:15時点における版
(みのだきようき)
基本情報
よみがな | みのだきょうき |
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職業 | 評論家 |
生年 | 1894 |
没年 | 1946 |
出生地 | 熊本県 |
別名 | 蓑田哀歌 |
経歴
明治27年1月26日熊本県生れ。昭和21年1月30日歿。筆名蓑田哀歌。東京帝国大学文学部宗教学科卒。慶應義塾大学予科、国士舘専門学校に教鞭を執る。大正14年三井甲之等と原理日本社を結成。機関誌「原理日本」を創刊して、国粋主義の立場から瀧川幸辰、美濃部達吉等自由主義者を攻撃、昭和8年京大事件、10年天皇機関説問題を起こす。13年帝大粛正期成同盟を組織。終戦後、アメリカ民主主義に転向する便乗主義者を見て自殺。
作品
- 獨露の思想文化とマルクス・レニン主義 マルクス主義の根源的綜合的批判 ( 増訂5版 昭和4年1月15日 原理日本社 ) → 「獨露の思想文化とマルクス・レニン主義 マルクス主義の根源的綜合的批判」をさがす
- 世界文化單位としての日本 ( 昭和4年8月28日 中央敎化團體聯合會 <敎化資料> ) → 「世界文化單位としての日本」をさがす
- 『隨感錄』に現はれたる濱口前首相の精神分析 政黨萬能思想としての不忠『民政』主義累積不可測禍殃を窮盡して全國民に訴ふ ( 昭和6年9月27日 原理日本社 ) → 「『隨感錄』に現はれたる濱口前首相の精神分析 」をさがす
- 國家社會主義を排撃す ( 北昤吉、若宮卯之助、五來欣造、杉森孝次郞、綾川武治、下位春吉、土田杏村、合著 昭和9年2月20日 祖國會出版部 <祖國會パンフレット> ) → 「國家社會主義を排撃す」をさがす
- 第二我等は如何にこの凶逆思想を處置すべきか? 東京帝國大學法學部赤化敎授對『しきしまのみち』學術的剖柝 ( 三井甲之共著 神作濱吉、松田福松寄稿 昭和9年6月25日 原理日本社 <しきしまのみち叢書> ) → 「第二我等は如何にこの凶逆思想を處置すべきか? 」をさがす
- 美濃部博士の大權蹂躙 第三・我等は如何にこの凶逆思想を處置すべきか ( 昭和10年2月5日 原理日本社 <しきしまのみち叢書> ) → 「美濃部博士の大權蹂躙 」をさがす
- 新修日本精神讀本 ( 井上哲次郞、清原貞雄、武田祐吉、植木直一郞、大倉邦彦、松永材、宇野圓空、河野省三、村瀨武比古、栗田元次、藤澤親雄、中河與一、杉森孝次郞、亘理章三郞、藤原銀次郞、浦本浙潮(浦本政三郞)、鼓常良、津久井龍雄、加藤一夫、三井甲之、赤松克麿、大串兎代夫、岡本かの子、合著 朝日新聞社編 昭和13年9月25日 朝日新聞社 ) → 「新修日本精神讀本」をさがす
- ナチス思想批判 ( 3版 昭和15年10月10日 原理日本社 ) → 「ナチス思想批判」をさがす
- 昭和研究會の言語魔術 ( 再版 昭和15年10月15日 原理日本社 ) → 「昭和研究會の言語魔術」をさがす
- 國家と大學 (東京帝大法學部に對する公開狀) ( 改新版 昭和16年1月1日 原理日本社 ) → 「國家と大學 (東京帝大法學部に對する公開狀)」をさがす
- 學術維新 ( 昭和16年7月1日 原理日本社 ) → 「學術維新」をさがす
- 日本世界觀 世界精神史 ( 昭和16年7月15日 原理日本社 ) → 「日本世界觀 世界精神史」をさがす