「小野賢一郞」の版間の差分
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2022年3月15日 (火) 15:22時点における版
(をのけんいちらう)
基本情報
よみがな | おのけんいちろう |
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職業 | 新聞記者、俳人 |
生年 | 1888 |
没年 | 1943 |
出生地 | 福岡県 |
別名 | 有香、蕪史、蕪子、蓼山莊主人、麥中人 |
経歴
明治21年7月2日福岡毛沼れ。昭和18年2月1日歿。号有香、蕪史、蕪子、蓼山莊主人、麥中人等。小学校教員を経て挑戦に渡り、新聞記者。のち東京日日新聞社入社、社会部長などを務め二十余年勤続。昭和9年日本放送協会に入り文芸部長等歴任。傍ら俳人としても活動、大正8年俳誌「草汁」を、昭和4年「鶏頭陣」を創刊主宰。15年日本俳句作家協会常任理事、また陶器に造詣深く、昭和6年創刊の「茶わん」に関与。作歌蘭郁二郞の継父に当る。
作品
- 知られたる秋田 ( 新渡戸稻造、永田岳淵、淺田江村、岡野告天子、阿部充家、和井内喜德、沼波瓊音、中野正剛、吉田淳、田村江東、谷河梅人、中里介山、福原雨六、合著 小野蕪子名 明治42年12月1日 瀧澤武編刊 ) → 「知られたる秋田」をさがす
- 溝 ( 大正元年10月15日 春陽堂 <現代文藝叢書> ) → 「溝」をさがす
- 嫁ぐ娘へ ( 編 室井きさ子著 大正4年7月5日 有文堂書店 ) → 「嫁ぐ娘へ」をさがす
- 女十篇 戀十篇 ( 大正4年10月5日 民聲社 ) → 「女十篇 戀十篇」をさがす
- 萬龍未來記 ( 合著 野元北馬編 大正5年11月1日 須磨啓興社 ) → 「萬龍未來記」をさがす
- 洋行茶話 ( 3版 大正9年6月11日 正報社 ) → 「洋行茶話」をさがす
- 澄宮殿下御作 童謠集 ( 編 大正11年1月15日 大阪毎日新聞社 東京日日新聞社 ) → 「童謠集」をさがす
- 陶器を試る人へ ( 大正14年2月25日 中央美術社 ) → 「陶器を試る人へ」をさがす
- 奧村五百子 ( 昭和5年5月20日 先進社 ) → 「奧村五百子」をさがす
- 句集 塔 ( 選 小野蕪子名 昭和8年9月1日 鶏頭陣社 ) → 「塔」をさがす
- 佛魔抄 ( 昭和10年12月17日 双雅房 ) → 「佛魔抄」をさがす
- きぬいと ( 吉井勇一、柳原燁子(柳原白蓮)、宇野千代、渡邊均、深尾須磨子、花柳章太郞、ささきふさ、岡田八千代、外山卯三郞、合著 題賛:山岸荷葉 扉:海老原喜之助合著 きもの編輯部-上田保治編 昭和14年1月30日 京都 きもの編輯部 ) → 「きぬいと」をさがす
- 戰爭と梅干 ( 昭和16年3月25日 寶雲舎 ) → 「戰爭と梅干」をさがす
- 句集 雲煙供養 ( 手話16年3月30日 寶雲舎 ) → 「雲煙供養」をさがす
- 茶わん隨筆 ( 昭和16年8月25日 冨士書店 ) → 「茶わん隨筆」をさがす
- 神像 ( 昭和17年7月15日 寶雲舎 ) → 「神像」をさがす
- 話術覺書 ( 昭和17年10月1日 寶雲舎 ) → 「話術覺書」をさがす
- 畫人岡田三郞助 ( 三宅克己、小林萬吾、白瀧幾之助、中澤弘光、北蓮藏、南薫造、小場恒吉、田邊至、大橋了介、岡鹿之助、鏑木淸方、里見弴、大道弘雄、市川猿之助、後藤眞太郞、高村眞夫、長尾一平、宮田祥治、石野不問庵、笹川臨風、野田九浦、淸水良雄、田澤田軒、黑田鵬心、伊原宇三郞、加藤靜兒、田中松太郞、津輕照子、深澤紅子、有馬さとえ、有島生馬、中村研一、西田武雄、廣川松五郞、岩田藤七、笹鹿彪、有岡一郞、中出三也、和田淸、富永惣一、隅元謙次郞合著 大隅爲三、辻永編 昭和17年11月15日 春鳥會 ) → 「畫人岡田三郞助」をさがす