「平沼騏一郞」の版間の差分
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2024年6月25日 (火) 22:52時点における最新版
(ひらぬまきいちらう)
基本情報
よみがな | ひらぬまきいちろう |
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職業 | 政治家、法学博士 |
生年 | 1867 |
没年 | 1952 |
出生地 | 美作国 |
経歴
慶応3年9月28日美作国生れ。昭和27年8月22日歿。明治21年帝国大学法科大学卒。司法省入省、44年司法次官、爾後検事総長、大審院長を経て、大正12年法相、翌年虎ノ門事件で辞任。次いで貴族院議員、枢密顧問官、昭和11年枢密院議長、14年首相歴任。男爵受爵。この間皇室中心主義の結社國本社を主宰、機関誌『國本』を発刊し、<天皇機関説>批判の先鋒となる。修養団理事。戦後千帆容疑で終身禁固刑も、仮出所中死去。法学者平沼淑郞の弟。
作品
- 義公生誕三百年記念講演集 ( 德富猪一郞(德富蘇峰)、金杉英五郞、三浦周行、小山松吉、栗田勤、深作安文、大津淳一郞、鹽澤昌貞、菊池謙二郞、元田肇、金子堅太郞、小久保喜七(小久保城南)、後藤新平、合著 昭和6年3月10日 茨城 義公生誕三百年記念會 ) → 「義公生誕三百年記念講演集」をさがす
- 祭祀と事業 ( 昭和13年4月29日 修養團 ) → 「祭祀と事業」をさがす
- 日本精神發揚講演集 ( 荒木貞夫、德富猪一郞(德富蘇峰)合著 瀨尾芳夫編 昭和14年3月13日 國民精神總動員中央聯盟 ) → 「日本精神發揚講演集」をさがす
文献
- 平沼騏一郞と末次信正 ( 唐島基智三著 昭和13年4月24日 今日の問題社 <情報と解説> ) → 「平沼騏一郞と末次信正」をさがす
- 祭祀と事業衍義 ( 昭和14年6月1日 興文社 <東洋文化叢書> ) → 「祭祀と事業衍義」をさがす
- 平沼騏一郎先生逸話集 ( 昭和33年8月22日 岡山 平沼騏一郎先生逸話集刊行会 ) → 「平沼騏一郎先生逸話集」をさがす