「河東碧梧桐」の版間の差分
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2024年5月14日 (火) 20:36時点における最新版
(かはひがしへきごどう)
基本情報
よみがな | かわひがしへきごどう |
---|---|
職業 | 俳人 |
生年 | 1873 |
没年 | 1937 |
出生地 | 愛媛県 |
本名 | 河東乗五郞 |
別名 | あをぎり、双松庵、とろとろ坊、如月、桐、桐仙、梧桐仙、梅溪、毬栗子、游魚庵、田舎男、碧、壁桐子、壁梧、壁梧桐生、碧生、乗、乗鼓、虚桐庵、閑鼓先生、靑桐、靑桐生 |
経歴
明治6年2月26日愛媛県生れ。昭和12年2月1日歿。明治27年第二高等学校中退。中学時代から正岡子規に兄事、子規歿後新聞「日本」俳句欄を継承、次いで新傾俳句運動を興す。大正4年中塚一碧樓等と俳誌「海紅」を創刊し、無季自由律俳句を実践。12年「碧」を、14年「三昧」を創刊。昭和8年俳壇引退を表明。高濱虚子と共に子規門の双璧。
作品
- 俳句評釋 ( 明治32年5月13日 新聲社 ) → 「俳句評釋」をさがす
- 續俳句評釋 ( 明治32年11月5日 新聲社 ) → 「續俳句評釋」をさがす
- 寫生文集 ( 傘谷(岡麓)、虚子(高濱虚子)、子規(正岡子規)、四方太(坂本四方太)、鼠骨(寒川鼠骨)、紅綠(佐藤紅綠)、燕洋(直木燕洋)、漱石(夏目漱石)、合著 四方太(坂本四方太)編 明治36年9月18日 俳書堂 ) → 「寫生文集」をさがす
- 明治俳文集 ( 巖谷小波、山村水郭、正岡子規、當麻答郞、近藤幽山、井出葦天、平川碧、尾崎紅葉、水落露石、武田櫻桃(武田鶯塘)、大和田建樹、野崎芝兮、安藤橡面坊、増島白圭、河内梅我、藤波樂齋、大橋乙羽、中内蝶二、久保天隨、江見水蔭、阿都志(石原純)、篠田胡蝶(篠田鑛造)、梅本塵山(梅本塵山人)、美土路春泥(美土路昌一)、板倉醉月、川上眉山、角田竹冷、若尾瀾水、大野一星、河村烏黑(川村雨谷)、保岡江涯、佐藤飯人、吉田竹旬、中野三允、大瓠、塚本虚明、乍人、牛洞山人、岡本癖三醉、柳川春葉、佐々醒雪、笹川臨風、田岡嶺雲、風水子、素圓玄々子、無可有、中村春雨(中村吉藏)、作者未詳、鈴木春友、内藤鳴雪、佐藤雪山、武定巨口、岡野知十、森無黄、十寸穗社、俳童子、高濱虚子、松瀨靑々、福田把栗、合著 當麻答郞編 明治38年12月26日 梨華社 ) → 「明治俳文集」をさがす
- 現代俳句三家集 ( 内藤鳴雪、松瀨靑々合著 高木米神編 明治44年5月7日 文德堂書店 ) → 「現代俳句三家集」をさがす
- 新日本見物 臺灣・樺太・朝鮮・滿洲・青島之巻 ( 島村抱月、巖谷小波、石川寅治、安田稔、中澤弘光、稻葉君山、中川八郞、澁川玄耳、前間恭作、合著 金尾種次郞編 大正7年6月15日 金尾文淵堂 ) → 「新日本見物 臺灣・樺太・朝鮮・滿洲・青島之巻」をさがす
- 文藝講座 第一巻 ( 荻原井泉水、三宅やす子、橋本小舸、正木不如丘、保篠龍緖、山口剛、朝倉文夫、岡田三面子(岡田朝太郞)、茅野蕭々、小澤愛圀、河竹繁俊、高木文、永瀨義郞、高濱虛子、山下新太郞、富田碎花、植松安、内藤濯、樫田十次郞、山岸光宣、細田源吉、合著 日本放送協會關東支部編 昭和2年4月13日 日本ラヂオ協會 博文館 <ラヂオ講演> ) → 「文藝講座 第一巻」をさがす
- 日本八景 内題「日本八景紀行」 ( 幸田露伴、吉田絃二郞、田山花袋、北原白秋、高濱虚子、菊池幽芳、泉鏡花、合著 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社編 昭和3年8月1日 大阪 大阪毎日新聞社 ) → 「日本八景」をさがす
- 日本アルプス縱斷記 ( 一戸直藏・長谷川如是閑共著 大正6年7月23日 大燈閣 ) → 「日本アルプス縱斷記」をさがす
- わが母を語る ( 吉岡彌生、石川武美、伊東深水、市川猿之助、石本靜枝、石井柏亭、今井邦子、鳩山一郞、西村伊作、佐藤鼎夫人、大田爲吉、大森洪太、岡本かの子、ガントレット恒子(ガントレツト恒)、風見章、嘉悦孝子、加藤松香、川村文子、神近市子、田口弼一、竹内茂代、俵孫一、相馬黑光、永島雄治、中村吉右衞門、山川菊榮、牧田環、前田米藏、眞山靑果、牧野良三、五島慶太、高良富子、安藤謙藏、朝倉文夫、淺野良三、杵屋勝五郞、三谷民子、森律子、藤原銀次郞、宮本百合子、鈴木孝雄、加藤タカ、富田幸次郞、三田村鳶魚、守屋東、三浦環、德富猪一郞、三輪田元道、秋田雨雀、赤松常子、河口愛子、山室民子、山本英輔、松波仁一郞、加藤武男、大妻コタカ、樺島千春、吉田晴風、押川如水、伍堂卓雄、鈴木祥枝合著 家庭新聞社編輯局-新妻伊都子編 昭和16年11月2日 家庭新聞社出版部 ) → 「わが母を語る」をさがす