操作

「小山内宏」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
24行目: 24行目:
 
|書名=兒童漫畫集
 
|書名=兒童漫畫集
 
|接尾辞=
 
|接尾辞=
|共著者名=[[岡本一平]]、[[平福百穗]]、小杉未醒([[小杉放庵]])、[[森田恒友]]、[[小川芋錢]]、[[巖谷小波]]、[[池部鈞]]、[[池田永治]]、[[岩佐新]]、[[服部亮英]]、[[細木原靑起]]、[[小川治平]][[大森ひろむ]][[尾竹二三男]]、和田くに坊([[和田邦坊]])、[[河盛久夫]]、[[田中比左良]]、[[田中稻三]]、[[長崎拔天]]、[[中島六郞]]、[[牛島一水]]、[[海野精光]]、[[山田みのる]]、[[前川千帆]]、[[藤原英比古]]、[[小林克巳]]、[[在田稠]]、[[佐々木邦]]、京谷金介([[京屋金介]])、[[水島爾保布]]、[[宮尾しげを]]、[[宍戸左行]]、[[代田收一]]、[[森山三郞]]、[[須山計一]]、合著  [[岡本一平]]編、織田小星([[織田信恒]])選
+
|共著者名=[[岡本一平]]、[[平福百穗]]、小杉未醒([[小杉放庵]])、[[森田恒友]]、[[小川芋錢]]、[[巖谷小波]]、[[池部鈞]]、[[池田永治]]、[[岩佐新]]、[[服部亮英]]、[[細木原靑起]]、[[小川治平]]、大森ひろむ([[大森弓麿]])、[[尾竹二三男]]、和田くに坊([[和田邦坊]])、[[河盛久夫]]、[[田中比左良]]、[[田中稻三]]、[[長崎拔天]]、[[中島六郞]]、[[牛島一水]]、[[海野精光]]、[[山田みのる]]、[[前川千帆]]、[[藤原英比古]]、[[小林克巳]]、[[在田稠]]、[[佐々木邦]]、京谷金介([[京屋金介]])、[[水島爾保布]]、[[宮尾しげを]]、[[宍戸左行]]、[[代田收一]]、[[森山三郞]]、[[須山計一]]、合著  [[岡本一平]]編、織田小星([[織田信恒]])選
 
|別名=
 
|別名=
 
|責任表示=
 
|責任表示=

2024年4月10日 (水) 19:05時点における版

(をさないひろし)


基本情報

よみがな おさないひろし
職業 軍事評論家、小説家
生年 1916
没年 1978
出生地 東京
別名 青海鱗太郞



経歴

大正5年6月11日東京生れ。昭和53年1月4日歿。筆名青海鱗太郞。小山内薰の次男。少時父と親交のあった岡本一平の元で漫画を習う。[1]成城学園を経てフィリピンのセント・トーマス大学で民族学を修めた。戦時陸軍に徴集せられ、フィリピンの陸軍情報部に勤務するも、病を獲て終戦前に内地送還。戦後は通訳の傍らハワイアン・バンドを率いて占領軍のキャンプを巡り、山川惣治等のアシスタントをしたのち、[2] 児童書や小説「大いなる翼」「ゴライアスの影」等を著わしていたが、のちに「ヴェトナム戦争―このおそるべき真実」がベスト・セラーとなり、爾来軍事評論家として活躍。他に「ヴェトナムはどうなる?―戦争か平和か」「中ソ戦争」等多数。小山内富子編「からたちの花は白いか―小山内宏追悼集」があり、小山内富子著「ちょっとコーヒーのみに行ってます」は妻による追想記。


作品








文獻




PDF

20087.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く

出典

  1. 「豆漫画家志望のころ」岡本太郎(「からたちの花は白いか」所収)
  2. 「一平漫画の世界 6一平塾」清水勲(「一平全集 増補第二十巻」324頁 1991年大空社 所収)

参考ページ