操作

「三島中洲」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
35行目: 35行目:
 
|書名=皆夢文詩
 
|書名=皆夢文詩
 
|接尾辞=
 
|接尾辞=
|共著者名=[[川田 江]]合著 [[高木弘平]]輯
+
|共著者名=[[川田甕江]]合著 [[高木弘平]]輯
 
|別名=
 
|別名=
 
|責任表示=
 
|責任表示=
|刊行年明治12年8月 再刊 13年1月
+
|刊行年=明治12年8月 再刊 13年1月
 
|出版社=有鄰堂
 
|出版社=有鄰堂
 
|}}
 
|}}
95行目: 95行目:
 
|出版社=
 
|出版社=
 
|}}
 
|}}
 +
 
== PDF ==
 
== PDF ==
 
[[file:20929.pdf|center|1000px]]
 
[[file:20929.pdf|center|1000px]]

2023年10月31日 (火) 19:58時点における最新版

(みしまちゆうしう)


基本情報

よみがな みしまちゅうしゅう
職業 漢学者、文学博士
生年 1830
没年 1919
出生地 備中国
別名 毅、遠叔、廣次郞、貞一郞。上田中洲、中洲學人、中洲居士、中洲毅、中洲漁仙、中洲漁皤、中洲老人、中洲老生、桐南、耄毅、陪鶴僊史、陪鶴老仙、陪鶴老僲、陪龍、風流判事



経歴

 文政13年12月9日備中国生れ。大正8年5月12日歿。諱毅、字遠叔、幼名廣次郞、通称貞一郞。別号上田中洲、中洲學人、中洲居士、中洲毅、中洲漁仙、中洲漁皤、中洲老人、中洲老生、桐南、耄毅、陪鶴僊史、陪鶴老仙、陪鶴老僲、陪龍、風流判事等。

 昌平坂学問所に学び、松山藩黌有終館会頭となる。維新後新治裁判所所長等を経て、明治10年二松学舎を創設、のち東京高等師範学校教授、帝国大学教授、東宮侍講、宮中顧問官等歴任。山口角鷹編『三島中洲-二松学舎の創立者』刊。


作品












PDF

20929.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ