「若尾瀾水」の版間の差分
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2024年1月1日 (月) 20:44時点における最新版
(わかをらんすゐ)
基本情報
よみがな | わかおらんすい |
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職業 | 俳人 |
生年 | 1877 |
没年 | 1961 |
出生地 | 高知県吾川郡弘岡下ノ村 |
本名 | 若尾庄吾 |
別名 | 撲天鵬、章吾、葭厓 |
経歴
明治10年1月14日高知県吾川郡弘岡下ノ村生れ。昭和36年12月1日歿。本名庄吾。別号撲天鵬、章吾、葭厓。明治30年第三高等學校から第二高等學校大学予備科に転入。この間寒川鼠骨、高濱虚子、河東碧梧桐を知り、正岡子規の門に入る。35年子規歿後、俳誌『木兔』に発表した追悼文により俳壇の指弾を受ける。39年東京帝国大学法科大学政治学科卒業後帰郷。大正10年俳誌『海月』創刊主宰。
作品
- 明治俳文集 ( 巖谷小波、山村水郭、正岡子規、當麻答郞、近藤幽山、井出葦天、平川碧、尾崎紅葉、水落露石、武田櫻桃(武田鶯塘)、大和田建樹、野崎芝兮、安藤橡面坊、増島白圭、河内梅我、藤波樂齋、河東碧梧桐、大橋乙羽、中内蝶二、久保天隨、江見水蔭、阿都志(石原純)、篠田胡蝶(篠田鑛造)、梅本塵山(梅本塵山人)、美土路春泥(美土路昌一)、板倉醉月、川上眉山、角田竹冷、大野一星、河村烏黑(川村雨谷)、保岡江涯、佐藤飯人、吉田竹旬、中野三允、大瓠、塚本虚明、乍人、牛洞山人、岡本癖三醉、柳川春葉、佐々醒雪、笹川臨風、田岡嶺雲、風水子、素圓玄々子、無可有、中村春雨(中村吉藏)、作者未詳、鈴木春友、内藤鳴雪、佐藤雪山、武定巨口、岡野知十、森無黄、十寸穗社、俳童子、高濱虚子、松瀨靑々、福田把栗、合著 當麻答郞編 明治38年12月26日 梨華社 ) → 「明治俳文集」をさがす
- 若尾瀾水俳論集 子規の死とその前後 ( 若尾瀾水遺稿編集委員会編 昭和42年10月20日 高知 高知市民図書館 ) → 「若尾瀾水俳論集 子規の死とその前後」をさがす