「淸瀨一郞」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす (→作品) |
(→作品) |
||
89行目: | 89行目: | ||
|刊行年=昭和18年8月15日 | |刊行年=昭和18年8月15日 | ||
|出版社=砂子屋書房 | |出版社=砂子屋書房 | ||
+ | |}} | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=日本國憲法制定の經緯とその實情 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=[[重光葵]]、[[芦田均]]、[[楢橋渡]]、[[古井喜實]]、合著 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=昭和29年6月5日印刷 | ||
+ | |出版社=改進黨政策委員會 改進黨憲法調査會 | ||
+ | |シリーズ名=憲法調査資料 | ||
|}} | |}} | ||
{{作品| | {{作品| |
2024年3月15日 (金) 20:36時点における最新版
(きよせいちらう)
基本情報
よみがな | きよせいちろう |
---|---|
職業 | 弁護士、政治家 |
生年 | 1884 |
没年 | 1967 |
出生地 | 兵庫県 |
経歴
明治17年7月5日兵庫県生れ。昭和42年6月27日歿。明治41年京都帝国大学法科卒。弁護士開業後、大正2年ベルリン大学に留学。イギリスを経て5年に帰国し、『發明特許制度ノ起源及發達』(大正7年刊)を以て京都帝大より学位を得る。9年衆議院議員(当選14回)、爾後議会活動と併行して京都学連事件等の弁護に当る。戦時中大政翼賛会総務、戦後公職追放も、東京裁判では東條英機の主任弁護士となり、勝者の裁きを批判。27年政界復帰。また憲法九条の枠内で軍備可能とする清瀬理論を作る。35年衆議院議長として新安保条約を強行採決。
作品
- 發明特許制度ノ起源及發達 ( 大正7年 ) → 「發明特許制度ノ起源及發達」をさがす
- 發明特許制度ノ起源及發達 ( 別冊増補完全版 平成9年2月4日 学術選書 ) → 「發明特許制度ノ起源及發達」をさがす
- 淸瀨一郞政論集 ( 大正15年12月14日 人文會出版部 ) → 「淸瀨一郞政論集」をさがす
- 第六十五囘帝國議會代表雄辯集 附各國務大臣答辯 ( 床次竹二郞、東武、町田忠治、中野正剛、高田耘平、山枡儀重、岸衞、大口喜六、中村繼男、田子一民、杉山元治郞、小川鄕太郞、合著 檜垣淸人編 昭和9年3月21日 日本講演通信社 ) → 「第六十五囘帝國議會代表雄辯集 」をさがす
- 時局百眼 ( 深井英五、勝田主計、安部磯雄、小林一三、鳩山一郞、中野正剛、井坂孝、永井柳太郞、下村海南、賀屋興宣、吉野信次、森廣蔵、大谷尊由、大藏公望、荒木貞夫、松永安左衞門(松永安左エ門)、有馬賴寧、島田俊雄、秋田淸、竹越與三郞、久原房之助、藤原銀次郞、小橋一太、有吉忠一、一條實孝、鹽野季彦、小泉又次郞、小倉正恆、伍堂卓雄、小川平吉、林毅陸、川村竹治、明石照男、砂田重政、三土忠造、望月圭介、船田一雄、寶來市松、中野友禮、船田中、田邊治通、渡邊千冬、俵孫一、皆川治廣、鈴木孝雄、田中穗積、石井光雄、小久保喜七、勝正憲、筑紫熊七、増田次郞、内ケ崎作三郞、賴母木桂吉、川島義之、北田内藏司、濱田國松、鄕誠之助、廣瀨久忠、加藤敬三郞、八田嘉明、高橋龍太郞、堀切善兵衞、黑崎定三、櫻内幸雄、松井春生、岡部長景、合著 都新聞社 黑田重吉編 昭和14年11月1日 秋豐園出版部 ) → 「時局百眼」をさがす
- 人一代の法律 ( 昭和14年11月10日 東京開成館 <女子明德會講演集> ) → 「人一代の法律」をさがす
- 正氣 五.一五事件海軍側被告に對する辯護記錄 ( 昭和18年8月15日 砂子屋書房 ) → 「正氣 五.一五事件海軍側被告に對する辯護記錄」をさがす
- 日本國憲法制定の經緯とその實情 ( 重光葵、芦田均、楢橋渡、古井喜實、合著 昭和29年6月5日印刷 改進黨政策委員會 改進黨憲法調査會 <憲法調査資料> ) → 「日本國憲法制定の經緯とその實情」をさがす
- 秘録東京裁判 ( 昭和42年3月10日 読売新聞社 ) → 「秘録東京裁判」をさがす
- 秘録東京裁判 ( 昭和61年7月10日 中央公論社 <中公文庫> ) → 「秘録東京裁判」をさがす