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明治5年8月12日広島県生れ。昭和10年2月28日歿。号學山、渇耳、かつ二等。明治35年帝国大学文科五大学博言学科卒。大学院に進んだのち、34年ドイツ留学、43年東京帝大教授。アルタイ諸語と日本語の類似点を説き系統論に影響を与えた他、満州語の研究にも及んだ。また親鸞を奉じ、大正7年には[[富士川游]]と共に幹事となり正信協会を創立、毎月の例会では法話を為し、機関紙「法爾」に宗教体験記を連載した。
 
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2022年5月2日 (月) 18:17時点における最新版

(ふぢをかかつじ)


基本情報

よみがな ふじおかかつじ
職業 言語学者、文学博士
生年 1872
没年 1935
出生地 広島県
別名 學山、渇耳、かつ二



経歴

明治5年8月12日広島県生れ。昭和10年2月28日歿。号學山、渇耳、かつ二等。明治35年帝国大学文科五大学博言学科卒。大学院に進んだのち、34年ドイツ留学、43年東京帝大教授。アルタイ諸語と日本語の類似点を説き系統論に影響を与えた他、満州語の研究にも及んだ。また親鸞を奉じ、大正7年には富士川游と共に幹事となり正信協会を創立、毎月の例会では法話を為し、機関紙「法爾」に宗教体験記を連載した。


作品







PDF

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