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明治10年7月7日兵庫県生れ。43年12月2日歿。本名義朗。筆名一色白涙、夢涯、夢涯生、白浪、白浪生、醒川生。雑誌「文庫」に詩文を投稿し、[[横瀨夜雨]]、[[河井醉茗]]等と親交。明治39年上京して醉茗主宰誌「女子文壇」記者となる。この間の32年神戸教会で受洗、[[綱島梁川]]に傾倒し、宗教詩人として名を遺した。
 
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(いつしきせいせん)


基本情報

よみがな いっしきせいせん
職業 詩人
生年 1877
没年 1910
出生地 兵庫県
本名 一色義朗
別名 一色白涙、夢涯、夢涯生、白浪、白浪生、醒川生



経歴

明治10年7月7日兵庫県生れ。43年12月2日歿。本名義朗。筆名一色白涙、夢涯、夢涯生、白浪、白浪生、醒川生。雑誌「文庫」に詩文を投稿し、横瀨夜雨河井醉茗等と親交。明治39年上京して醉茗主宰誌「女子文壇」記者となる。この間の32年神戸教会で受洗、綱島梁川に傾倒し、宗教詩人として名を遺した。


作品






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