「南條文雄」の版間の差分
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+ | |書名=現代名流自傳 | ||
+ | |接尾辞=第壹篇 | ||
+ | |共著者名=[[江原素六]]、[[井上哲次郞]]、[[海老名彈正]]、[[前田慧雲]]合著 [[江戸肇]]編 | ||
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+ | |刊行年=明治41年3月10日 | ||
+ | |出版社=新公論社 | ||
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2021年4月7日 (水) 19:27時点における版
(なんでうぶんいう)
基本情報
よみがな | なんじょうぶんゆう |
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職業 | 梵語学者、文学博士 |
生年 | 1849 |
没年 | 1927 |
出生地 | 美濃国大垣 |
別名 | 恪丸、恪順、僧恪、碩果、碩果生、松坡 |
経歴
嘉永2年5月12日美濃国大垣生れ。昭和2年11月9日歿。幼名恪丸、のち恪順。通称僧恪。大垣誓運寺住職溪英順(号溪毛芥)の三男。明治4年南條神興の養嗣子となり得度、文雄と改名。京都高倉學寮に学ぶ。9年東本願寺の本山留学生としてイギリスに渡り、オックスフォード大学でマックス・ミュラーに師事。「太明三藏聖教目録」を共訳刊行した他、梵文の「無量壽經」、「阿彌陀經」を師と共訳して、欧州学界に貢献、学位を得て17年帰朝、東京大谷大学教授。翌年東京大学梵語学講師、34年真宗大学教授(のち学監)、大正3年大谷大学学長となる。少時菱田海鷗に漢学を学び、実父及び伯兄溪良順(号溪雲嶂)の影響を受け漢詩を能くした。
作品
- 忘己録 ( 明治40年5月19日 井冽堂 ) → 「忘己録」をさがす
- 静思録 ( 明治41年3月23日 井冽堂 ) → 「静思録」をさがす
- 安心録 ( 大正元年8月13日 文成社 ) → 「安心録」をさがす
- 通俗佛教講話 ( 大正3年4月3日 中央書院 ) → 「通俗佛教講話」をさがす
- 慰安と修養 ( 村上專精、前田慧雲合著 神永倉眞民編 大正6年2月21日 泰山房 ) → 「慰安と修養」をさがす
- 信念の發揮 ( 昭和2年2月1日 大雄閣 ) → 「信念の發揮」をさがす