「丸岡秀子」の版間の差分
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2024年6月20日 (木) 21:46時点における最新版
(まるをかひでこ)
基本情報
よみがな | まるおかひでこ |
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職業 | 評論家 |
生年 | 1903 |
没年 | 1990 |
出生地 | 長野県南佐久郡臼田 |
本名 | 石井ひで |
経歴
明治36年5月5日長野県南佐久郡臼田生れ。平成2年5月25日歿。旧姓井出、丸岡、本名石井ひで。大正13年奈良女子高等師範学校卒。翌年上京、東洋経済新報社記者丸岡堯と結婚し、川村女学院に勤務。昭和3年夫が急逝、産業組合中央会調査部に勤務。12年同僚の石井東一と再婚、夫の任地北京に渡る。21年帰国、爾後東京都社会教育委員、日本農村婦人協会理事長、新日本婦人の会代表委員等を務めた。『丸岡秀子評論集』全十巻がある。政治家井出一太郞、作家井出孫六の実姉。
全集
- 丸岡秀子評論集 全十巻 ( 昭和53年~平成3年 未来社 ) → 「丸岡秀子評論集」をさがす
作品
- ひとつの眞實に生きて ( 昭和27年2月10日 東洋書館 ) → 「ひとつの眞實に生きて」をさがす
- 生活の錄音から ( 昭和28年6月20日 和光社 ) → 「生活の錄音から」をさがす
- 女の一生 ( 昭和28年10月16日 岩波書店 <村の圖書室> ) → 「女の一生」をさがす
- 現代人の生態 ある社會的考察 ( 合著 思想の科學研究會編 昭和28年11月20日 大日本雄辯會講談社 ) → 「現代人の生態 ある社會的考察」をさがす
- 教育を守るために ( 關口泰、戒能通孝、辻淸明、城戸幡太郞、田畑忍、伊藤昇、宗像誠也、上原專祿、淸水幾太郞、勝田守一、久野收、前田多門、靑野季吉、眞下信一、末川博、矢内原忠雄、南原繁、合著 關口泰編 昭和29年2月28日 柏林書房 ) → 「教育を守るために」をさがす
- 若い河 ( 合著 昭和32年2月5日 河出書房 <河出新書> ) → 「若い河」をさがす
- 知と愛の流れ ( 昭和32年11月 理論社 ) → 「知と愛の流れ」をさがす
- 中国 十二の物語 ( 昭和32年12月25日 池田書店 ) → 「中国 十二の物語」をさがす
- 明日を呼ぶ母の声 熊本の母の生活記録 ( 編 昭和33年2月10日 東洋館出版社 ) → 「明日を呼ぶ母の声 熊本の母の生活記録」をさがす
- 若い娘 若い妻 若い母のために ( 昭和34年3月20日 知性社 <知性選書> ) → 「若い娘 若い妻 若い母のために」をさがす
- 母親入門 信頼される母となるために ( 昭和35年11月20日 国土社 <子どものもんだい> ) → 「母親入門 信頼される母となるために」をさがす
- 物価と家計簿 ( 昭和38年8月20日 岩波書店 <岩波新書> ) → 「物価と家計簿」をさがす
- 田村俊子とわたし ( 昭和48年4月20日 中央公論社 ) → 「田村俊子とわたし」をさがす
- 心の日めくり ( 昭和55年11月10日 大和書房 ) → 「心の日めくり」をさがす
- 手づくりの教育 長野県中込学校の太鼓楼が教えたもの ( 昭和60年10月21日 岩波書店 <岩波ブックレット> ) → 「手づくりの教育 長野県中込学校の太鼓楼が教えたもの」をさがす
- 平塚らいてうと日本の近代 ( 大岡昇平共著 昭和61年7月21日 岩波書店 <岩波ブックレット> ) → 「平塚らいてうと日本の近代」をさがす
- 声は無けれど ( 昭和62年12月10日 岩波書店 ) → 「声は無けれど」をさがす
文献
- いのちと命を結ぶ 回想の丸岡秀子 ( 丸岡秀子追悼文集編集委員会編 平成4年5月25日 長野 信濃毎日新聞社 ) → 「いのちと命を結ぶ 回想の丸岡秀子」をさがす