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 明治11年4月15日富山県生れ。昭和30年9月歿。本名八郞。初め『北國新聞』『文庫』等に投稿、[[桐生悠々]]、[[田村松魚]]等を知る。小説家を志してニ十歳の折上京、松魚の紹介で[[幸田露伴]]に入門。当時向島蝸牛庵には松魚の他、[[米光關月]]、[[神谷鶴伴]]等が同居していたが、素影は牛込の寄宿先から日参して指導を受けた。作品は『文藝界』『新小説』『文藝倶樂部』等に発表。単行本に小説『戀のなやみ』がある。また師の主唱した新短詩型「四行詩」を作る[[最好會]]が組織せられ、自らも試作。その成果を同会編『はつしほ』に収録。その後略十年間の作家生活に見切りをつけて帰郷、農生活に入った。傍ら『ホトトギス』同人となり[[高濱虚子]]に師事。爾後俳句に創作の活路を得、俳号は本名を通した。
  
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2023年12月26日 (火) 18:08時点における最新版

(さいとうそえい)


基本情報

よみがな さいとうそえい
職業 小説家、俳人
生年 1878
没年 1955
出生地 富山県
本名 齋藤八郞



経歴

 明治11年4月15日富山県生れ。昭和30年9月歿。本名八郞。初め『北國新聞』『文庫』等に投稿、桐生悠々田村松魚等を知る。小説家を志してニ十歳の折上京、松魚の紹介で幸田露伴に入門。当時向島蝸牛庵には松魚の他、米光關月神谷鶴伴等が同居していたが、素影は牛込の寄宿先から日参して指導を受けた。作品は『文藝界』『新小説』『文藝倶樂部』等に発表。単行本に小説『戀のなやみ』がある。また師の主唱した新短詩型「四行詩」を作る最好會が組織せられ、自らも試作。その成果を同会編『はつしほ』に収録。その後略十年間の作家生活に見切りをつけて帰郷、農生活に入った。傍ら『ホトトギス』同人となり高濱虚子に師事。爾後俳句に創作の活路を得、俳号は本名を通した。

 歿後、『齋藤八郞句集』が上梓せられ、幸田文が跋文を寄せている。なお子の越郞に『蝸牛庵覚え書』の一書があり、「父素影齋藤八郎のこと」を附載。


作品





文献



PDF

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参考ページ