操作

「日高眞實」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
 
25行目: 25行目:
 
|書名=哲學汎論
 
|書名=哲學汎論
 
|接尾辞=
 
|接尾辞=
|共著者名=三宅雄次郞([[三宅雪嶺]])、[[德永滿之]][[原坦山]]、[[橋本武]]、[[外山正一]]、[[岡本監輔]]、[[坪井九馬三]]、[[雲英晃耀]]、[[加藤弘之]]、[[嘉納治五郞]]、[[井上圓了]]、合著  [[菅野幹]]編集並評
+
|共著者名=三宅雄次郞([[三宅雪嶺]])、德永滿之([[淸澤滿之]])、[[原坦山]]、[[橋本武]]、[[外山正一]]、[[岡本監輔]]、[[坪井九馬三]]、[[雲英晃耀]]、[[加藤弘之]]、[[嘉納治五郞]]、[[井上圓了]]、合著  [[菅野幹]]編集並評
 
|別名=
 
|別名=
 
|責任表示=
 
|責任表示=

2024年1月2日 (火) 19:20時点における最新版

(ひだかまさね)


基本情報

よみがな ひだかまさね
職業 敎育学者
生年 1864
没年 1894
出生地 日向国
別名 甲子郞。桃園、菊逕



経歴

 元治元年9月17日日向国生れ。明治27年8月20日歿。幼名甲子郞。号桃園、菊逕。高鍋藩儒日高梅瀨の長子。明治19年帝国大学文科大学卒。21年教育学研究のためドイツ留学、帰朝後の25年高等師範学校教授兼帝大文科大学教授に任ぜられるも、翌年病を獲、病臥一年半の末歿す。

 帝大卒業生にして教育学専攻者の嚆矢という。また国漢学に通じて和歌、漢詩文を能くし、英語・ドイツ語に通じ、留学中屡々しばしば ドイツ語の詩を作った。一方漢学者の父を ち、自らも漢学は云うに及ばず洋学にも造詣深かったにも拘らず、言語の如きはやまとことばの使用を拡張、例えば停車場・ステーションを<くるまとまりば>と称へ書き、自署の多くは仮名を以てした。


作品



PDF

17624.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ