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== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
明治35年4月25日広島県生れ。平成4年2月10日歿。大正7年東京女子美術学校選科卒。舞台協會に入り、12年日活の「髑髏の舞」で映画初出演、花形となる。昭和2年夫[[山田隆彌]](のち隆也)を棄て、俳優[[竹内良一]]と失踪事件を起こす。日活を退き、一座を結成して全国及び外地公演を果たした。6年松竹鎌田に入り映画界に復帰。11年[[井上正夫]]演劇道場に参加。翌年愛人の演出家[[杉本良吉]]とソ連に亡命。杉本は処刑せられるも、自身は市民権を得てモスクワのルナチャルスキー演劇大学で演出を学ぶ。次いでマヤコフスキー劇場の演出部員となり、またモスクワ放送局日本部に勤める。この間元俳優でモスクワ放送アナウンサー[[瀧口新太郞]]と結婚。47年帰国して約半年滞日。その後も滞ソの儘、演出家とshして日ソを往復。[[松井須磨子]]、[[衣川孔雀]]と共に<大正の三大女優>([[田中榮三]])と曰う。
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明治35年4月25日広島県生れ。平成4年2月10日歿。大正7年東京女子美術学校選科卒。舞台協會に入り、12年日活の「髑髏の舞」で映画初出演、花形となる。昭和2年夫[[山田隆彌]](のち隆也)を棄て、俳優[[竹内良一]]と失踪事件を起こす。日活を退き、一座を結成して全国及び外地公演を果たした。6年松竹鎌田に入り映画界に復帰。11年[[井上正夫]]演劇道場に参加。翌年愛人の演出家[[杉本良吉]]とソ連に亡命。杉本は処刑せられるも、自身は市民権を得てモスクワのルナチャルスキー演劇大学で演出を学ぶ。次いでマヤコフスキー劇場の演出部員となり、またモスクワ放送局日本部に勤める。この間元俳優でモスクワ放送アナウンサー[[瀧口新太郞]]と結婚。47年帰国して約半年滞日。その後も滞ソの儘、演出家として日ソを往復。[[松井須磨子]]、[[衣川孔雀]]と共に<大正の三大女優>([[田中榮三]])と曰う。
 
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== 作品 ==
 
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2022年9月12日 (月) 20:24時点における最新版

(をかだよしこ)


基本情報

よみがな おかだよしこ
職業 俳優
生年 1902
没年 1992
出生地 広島県
別名 岡田よし子



経歴

明治35年4月25日広島県生れ。平成4年2月10日歿。大正7年東京女子美術学校選科卒。舞台協會に入り、12年日活の「髑髏の舞」で映画初出演、花形となる。昭和2年夫山田隆彌(のち隆也)を棄て、俳優竹内良一と失踪事件を起こす。日活を退き、一座を結成して全国及び外地公演を果たした。6年松竹鎌田に入り映画界に復帰。11年井上正夫演劇道場に参加。翌年愛人の演出家杉本良吉とソ連に亡命。杉本は処刑せられるも、自身は市民権を得てモスクワのルナチャルスキー演劇大学で演出を学ぶ。次いでマヤコフスキー劇場の演出部員となり、またモスクワ放送局日本部に勤める。この間元俳優でモスクワ放送アナウンサー瀧口新太郞と結婚。47年帰国して約半年滞日。その後も滞ソの儘、演出家として日ソを往復。松井須磨子衣川孔雀と共に<大正の三大女優>(田中榮三)と曰う。


作品




  • 海の物語  (  訳 スタニュコビチ他作  岡田よし子名  昭和41年1月30日  モスクワ プログレス出版所 日ソ図書センター発売 ) → 「海の物語」をさがす




文獻






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参考ページ