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== 経歴 ==
 
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弘化2年8月17日江戸生れ。昭和6年1月12日歿。諱淸修、字念卿、通称修二郞、修次、{{ruby|分|くまり}}、修二、修。別号卍阿彌、如電居士、白念坊、白鯰道人、陽●子、修如電、如電修等。仙臺藩儒[[大槻磐溪]]の次男。国語学者[[大槻文彦]]の兄。家学を父に受け、藩校養賢堂に学ぶ。慶応2年藩の砲術指南。維新後海軍兵学寮皇漢学教官、次いで文部省出仕も明治7年辞官。翌年家督を弟文彦に譲り、爾来在野で活動。23年白石社総代。
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弘化2年8月17日江戸生れ。昭和6年1月12日歿。諱淸修、字念卿、通称修二郞、修次、{{ruby|分|くまり}}、修二、修。別号卍阿彌、如電居士、白念坊、白鯰道人、陽檠子、修如電、如電修等。仙臺藩儒[[大槻磐溪]]の次男。国語学者[[大槻文彦]]の兄。家学を父に受け、藩校養賢堂に学ぶ。慶応2年藩の砲術指南。維新後海軍兵学寮皇漢学教官、次いで文部省出仕も明治7年辞官。翌年家督を弟文彦に譲り、爾来在野で活動。23年白石社総代。
 
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== 作品 ==
 
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2022年10月18日 (火) 03:43時点における版

(おほつきじよでん)


基本情報

よみがな おおつきじょでん
職業 著述家
生年 1845
没年 1931
出生地 江戸
別名 淸修、念卿、修二郞、修次、くまり 、修二、修。卍阿彌、如電居士、白念坊、白鯰道人、陽檠子、修如電、如電修



経歴

弘化2年8月17日江戸生れ。昭和6年1月12日歿。諱淸修、字念卿、通称修二郞、修次、くまり 、修二、修。別号卍阿彌、如電居士、白念坊、白鯰道人、陽檠子、修如電、如電修等。仙臺藩儒大槻磐溪の次男。国語学者大槻文彦の兄。家学を父に受け、藩校養賢堂に学ぶ。慶応2年藩の砲術指南。維新後海軍兵学寮皇漢学教官、次いで文部省出仕も明治7年辞官。翌年家督を弟文彦に譲り、爾来在野で活動。23年白石社総代。


作品


















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