市河万菴
→ 日本の古本屋で本をさがす2022年9月19日 (月) 10:18時点における192.168.102.46 (トーク)による版
2022年9月19日 (月) 10:18時点における192.168.102.46 (トーク)による版
(いちかはまんなん)
基本情報
よみがな | いちかわまんなん |
---|---|
職業 | 書家、篆刻家 |
生年 | 1838 |
没年 | 1907 |
出生地 | 江戸和泉橋通 |
別名 | 三兼、叔井、昇六、万葊、卍菴 |
経歴
天保9年3月21日江戸和泉橋通生れ。明治40年11月10日歿。諱三兼、字叔井、通称昇六。万葊、卍菴とも署す。市河米庵六十歳の折に生まれた長男。祖父は寛齋。分家して本郷森川町に住す。十二歳で旧式砲術を学び、更に江戸坦庵、高島秋帆に就いて新式を修め、先手鉄砲方となる。安政3年海保醉茗に篆刻を学び、6年書道教授を始む。維新後大蔵民部両省に出仕、明治3年以降大蔵省の命により新紙幣の文字を書き、同省の属官二十余年に及んだ。同3年先考十三回忌追善の宴を江東中村樓に開き、参集者二千名を数えたという。また当日の模様を記した冊子『金洞餘音』を作った。40年の五十周忌には『米菴先生詩集』五冊を版にし旧知に配布。長男書家市河三陽、次男英語学者市河三喜、三男林学博士市河三祿、一女も華道池坊宗匠と皆名を成した。少時書の門弟であった岡麓に<ひとたびは米庵堂を見たかりしをさなき心今ものこれり>の歌がある。
作品
- 金洞餘音 ( 編 明治3年 ) → 「金洞餘音」をさがす
- 米菴先生詩集 五冊 ( 編 明治40年 ) → 「米菴先生詩集」をさがす