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巖谷一六

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2024年3月11日 (月) 02:04時点における徳尾書店 (トーク | 投稿記録)による版

(いはやいちろく)


基本情報

よみがな いわやいちろく
職業 書家、漢詩人
生年 1834
没年 1905
出生地 近江国
別名 修、誠卿、辨治、立的。一六居士、一六老人、不知老人、古梅、古梅園、古梅居士、古楳、呑澤山人、噏霞樓主人、嵓谷迂堂、蹋霞仙史、迂堂、逸鹿、逸鹿老漁、金粟、金粟道人



経歴

 天保5年2月8日近江国生れ。明治38年7月12日歿。諱修、字誠卿、幼名辨治、立的。別号一六居士、一六老人、不知老人、古梅、古梅園、古梅居士、古楳、呑澤山人、噏霞樓主人、嵓谷迂堂、蹋霞仙史、迂堂、逸鹿、逸鹿老漁、金粟、金粟道人等。

 水口藩侍医巖谷玄通の子。京で医術を修める傍ら中江雪城に書を学ぶ。帰藩後藤本鐵石松本金堂等と交わり国事に奔走。慶応4年徴士議政官史官となり、当時の詔勅、制令等の多くに筆を執る。のち太政官大書記官、修史館監事、内閣書記官、元老院議官、錦鶏間祇候、貴族院議員等歴任。書は初め巻菱湖流を能くしたが、明治13年来朝の楊守敬に師事して一変、自家一流を成すに至った。また漢詩文にも長じた。巖谷小波の父。


作品











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