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安政7年2月1日丹波国生れ。明治41年12月25日歿。幼名嘉一郞。号樂只軒、霞湖。小児科医、[[弘田長]]に師事。明治34年に創設せられた小児科学会の重鎮。育児上の要項を日記体に記し、[[大塚楠緒子]]が序文を寄せた「育兒日記親ごころ」は広く読まれた。また[[杉浦重剛]]とは早くから親交、その称好塾の塾友となり、重剛からは「樂只軒記」を贈られた。趣味が広く、謡曲、華道にも堪能で、晩年は[[佐佐木信綱]]に就き歌作、歌集「萩の上かせ(風)」を遺した。妻榮子(本名ゑい。旧姓有賀)も[[四賀光子]]が姪に当る関係から、夫歿後は[[太田水穗]]、光子の指導で本格的に作歌、「梅の下蔭」と題した歌集を夫の遺歌集に併載している。
  
 
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2022年5月7日 (土) 02:09時点における最新版

(をはらよりゆき)


基本情報

よみがな おはらよりゆき
職業 歌人、小児科医
生年 1860
没年 1908
出生地 丹波国
別名 嘉一郞、樂只軒、霞湖



経歴

安政7年2月1日丹波国生れ。明治41年12月25日歿。幼名嘉一郞。号樂只軒、霞湖。小児科医、弘田長に師事。明治34年に創設せられた小児科学会の重鎮。育児上の要項を日記体に記し、大塚楠緒子が序文を寄せた「育兒日記親ごころ」は広く読まれた。また杉浦重剛とは早くから親交、その称好塾の塾友となり、重剛からは「樂只軒記」を贈られた。趣味が広く、謡曲、華道にも堪能で、晩年は佐佐木信綱に就き歌作、歌集「萩の上かせ(風)」を遺した。妻榮子(本名ゑい。旧姓有賀)も四賀光子が姪に当る関係から、夫歿後は太田水穗、光子の指導で本格的に作歌、「梅の下蔭」と題した歌集を夫の遺歌集に併載している。


作品




PDF

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