「津田仙」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす近代文献人名辞典のシステム管理者 (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
|||
5行目: | 5行目: | ||
{{人物情報 | {{人物情報 | ||
|よみがな=つだせん | |よみがな=つだせん | ||
− | |職業= | + | |職業=洋学者、農学者 |
− | |生年= | + | |生年=1837 |
− | |没年= | + | |没年=1908 |
− | |出生地= | + | |出生地=下総国佐倉城下天神曲輪 |
|本名= | |本名= | ||
− | |別名= | + | |別名=千也、仙彌・仙也、津田僊、學農、學農山人 |
|}} | |}} | ||
---- | ---- | ||
== 経歴 == | == 経歴 == | ||
− | + | 天保8年7月6日下総国佐倉城下天神曲輪生れ。明治41年4月24日歿。幼名千也、のち仙彌・仙也、津田僊とも署す。号學農、學農山人。佐倉藩士[[小島善右衞門]]の四男、嘉永3年元服後櫻井家の養子となるも安政3年離籍、文久元年7月田安家の家臣[[津田大太郞]](榮七)の婿養子となった。江戸で[[手塚律藏]]の蘭学塾に入った他、[[伊東貫齋]]、福地源一郞([[福地櫻癡]])、[[森山多吉郞]]等に学び、蘭学から英学に転じて、通弁、翻訳に従事。慶応3年[[小野友五郞]]随員としてアメリカに渡った折、農法を見聞。明治6年ウィーン万国博覧会に庭園植物主任兼審査官の詩斯くで赴く。翌年オランダの園芸家ホイブレンクの農法書を訳し、「農業三事」全二冊(5月刊)と題して出版。9年農学校學農社を開校し、「農業雜誌」を創刊。11年青山学院の前身となる耕敎學舎を創立した。13年[[小崎弘道]]、[[植村正久]]、[[井深梶之助]]、[[田村直臣]]等によって組織せられた日本基督教青年会の機関誌「{{ruby|六合|りくごう}}雜誌」に誌名の名付け親となる。他に盲唖教育、禁酒運動にも尽力。女子教育家[[津田梅子]]の父。 | |
---- | ---- | ||
== 作品 == | == 作品 == | ||
21行目: | 21行目: | ||
{{作品| | {{作品| | ||
|冠称= | |冠称= | ||
− | |書名= | + | |書名=農業三事 |
+ | |接尾辞=全二冊 | ||
+ | |共著者名= | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=明治7年5月 | ||
+ | |出版社= | ||
+ | |}} | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=酒の害 | ||
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
|共著者名= | |共著者名= | ||
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
− | |刊行年= | + | |刊行年=7版 明治21年5月11日 |
+ | |出版社=東京婦人矯風會 | ||
+ | |}} | ||
+ | == 文獻 == | ||
+ | |||
+ | ---- | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=津田仙翁略伝 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=[[津田昇]]編 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=昭和33年 | ||
|出版社= | |出版社= | ||
|}} | |}} | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=津田仙 明治の基督者 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=[[都田豐三郞]]著 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=昭和47年11月 | ||
+ | |出版社=私家版 | ||
+ | |}} | ||
+ | |||
== PDF == | == PDF == | ||
[[file:20111.pdf|center|1000px]] | [[file:20111.pdf|center|1000px]] | ||
34行目: | 68行目: | ||
[[Category:人名辞典|つだせん]] | [[Category:人名辞典|つだせん]] | ||
− | [[Category: | + | [[Category:完了|つだせん]] |
+ | [[Category:洋学者|つだせん]] | ||
+ | [[Category:農学者|つだせん]] |
2021年5月31日 (月) 22:37時点における最新版
(つだせん)
基本情報
よみがな | つだせん |
---|---|
職業 | 洋学者、農学者 |
生年 | 1837 |
没年 | 1908 |
出生地 | 下総国佐倉城下天神曲輪 |
別名 | 千也、仙彌・仙也、津田僊、學農、學農山人 |
経歴
天保8年7月6日下総国佐倉城下天神曲輪生れ。明治41年4月24日歿。幼名千也、のち仙彌・仙也、津田僊とも署す。号學農、學農山人。佐倉藩士小島善右衞門の四男、嘉永3年元服後櫻井家の養子となるも安政3年離籍、文久元年7月田安家の家臣津田大太郞(榮七)の婿養子となった。江戸で手塚律藏の蘭学塾に入った他、伊東貫齋、福地源一郞(福地櫻癡)、森山多吉郞等に学び、蘭学から英学に転じて、通弁、翻訳に従事。慶応3年小野友五郞随員としてアメリカに渡った折、農法を見聞。明治6年ウィーン万国博覧会に庭園植物主任兼審査官の詩斯くで赴く。翌年オランダの園芸家ホイブレンクの農法書を訳し、「農業三事」全二冊(5月刊)と題して出版。9年農学校學農社を開校し、「農業雜誌」を創刊。11年青山学院の前身となる耕敎學舎を創立した。13年小崎弘道、植村正久、井深梶之助、田村直臣等によって組織せられた日本基督教青年会の機関誌「
作品
- 農業三事 全二冊 ( 明治7年5月 ) → 「農業三事」をさがす
- 酒の害 ( 7版 明治21年5月11日 東京婦人矯風會 ) → 「酒の害」をさがす
文獻
- 津田仙翁略伝 ( 津田昇編 昭和33年 ) → 「津田仙翁略伝」をさがす
- 津田仙 明治の基督者 ( 都田豐三郞著 昭和47年11月 私家版 ) → 「津田仙 明治の基督者 」をさがす