「市村宏」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす16行目: | 16行目: | ||
明治37年5月6日長野県上高井郡小布施村生まれ。平成元年11月10日歿。長野中学校在学中、[[柴山武矩]]の歌誌『{{ruby|水篶|みすず}}』に参加、大正14年[[三浦義一]]の雑誌『不知火』同人、翌年大分高等商業学校を卒業して冨山房入社、辞書編集部に所属し部長[[楠山正雄]]の知遇を得る。昭和13年東洋大学国文学科に入り、16年卒業。冨山房を退き翌年[[東京日日新聞社]]出版局入社。日本文学報国会、少国民文化協会会員として各地で講演。18年山一書房を興し、20年日本書院として再出。翌年雑誌『饗宴』を創刊編集、また『塙保己一の生涯』を著わす。23年[[新村出]]の委嘱により『廣辭苑』の編集主任となる。31年東洋大学教授、48年迯水短歌会を結成し機関誌『迯水』を創刊主宰。和歌文学会委員長、上代文学会理事長等を務めた。 | 明治37年5月6日長野県上高井郡小布施村生まれ。平成元年11月10日歿。長野中学校在学中、[[柴山武矩]]の歌誌『{{ruby|水篶|みすず}}』に参加、大正14年[[三浦義一]]の雑誌『不知火』同人、翌年大分高等商業学校を卒業して冨山房入社、辞書編集部に所属し部長[[楠山正雄]]の知遇を得る。昭和13年東洋大学国文学科に入り、16年卒業。冨山房を退き翌年[[東京日日新聞社]]出版局入社。日本文学報国会、少国民文化協会会員として各地で講演。18年山一書房を興し、20年日本書院として再出。翌年雑誌『饗宴』を創刊編集、また『塙保己一の生涯』を著わす。23年[[新村出]]の委嘱により『廣辭苑』の編集主任となる。31年東洋大学教授、48年迯水短歌会を結成し機関誌『迯水』を創刊主宰。和歌文学会委員長、上代文学会理事長等を務めた。 | ||
− | + | 歌集は『憂の花』等四冊、専門書の他随筆を能くし、『迯水居漫筆―観潮樓の花』以降58年まで11冊を数える。迯水短歌会編『鑑賞市村宏の歌』がある。 | |
---- | ---- | ||
== 作品 == | == 作品 == | ||
---- | ---- | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称=歌集 | ||
+ | |書名=憂の花 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名= | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=昭和29年 | ||
+ | |出版社= | ||
+ | |}} | ||
{{作品| | {{作品| | ||
|冠称= | |冠称= | ||
− | |書名= | + | |書名=迯水居漫筆 観潮樓の花 |
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
|共著者名= | |共著者名= | ||
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
− | |刊行年= | + | |刊行年=昭和49年2月20日 |
− | |出版社= | + | |出版社=溪声出版 |
+ | |}} | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=鑑賞市村宏の歌 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=迯水短歌会編 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=平成7年11月10日 | ||
+ | |出版社=渓声出版 | ||
+ | |シリーズ名=迯水叢書 | ||
|}} | |}} | ||
== PDF == | == PDF == | ||
36行目: | 57行目: | ||
[[Category:人名辞典|いちむらひろし]] | [[Category:人名辞典|いちむらひろし]] | ||
− | [[Category: | + | [[Category:完了|いちむらひろし]] |
+ | [[Category:歌人|いちむらひろし]] | ||
+ | [[Category:国文学者|いちむらひろし]] | ||
+ | [[Category:文学博士|いちむらひろし]] |
2024年10月14日 (月) 13:26時点における版
(いちむらひろし)
基本情報
よみがな | いちむらひろし |
---|---|
職業 | 歌人、国文学者、文学博士 |
生年 | 1904 |
没年 | 1989 |
出生地 | 長野県上高井郡小布施村 |
経歴
明治37年5月6日長野県上高井郡小布施村生まれ。平成元年11月10日歿。長野中学校在学中、柴山武矩の歌誌『水篶
』に参加、大正14年三浦義一の雑誌『不知火』同人、翌年大分高等商業学校を卒業して冨山房入社、辞書編集部に所属し部長楠山正雄の知遇を得る。昭和13年東洋大学国文学科に入り、16年卒業。冨山房を退き翌年東京日日新聞社出版局入社。日本文学報国会、少国民文化協会会員として各地で講演。18年山一書房を興し、20年日本書院として再出。翌年雑誌『饗宴』を創刊編集、また『塙保己一の生涯』を著わす。23年新村出の委嘱により『廣辭苑』の編集主任となる。31年東洋大学教授、48年迯水短歌会を結成し機関誌『迯水』を創刊主宰。和歌文学会委員長、上代文学会理事長等を務めた。
歌集は『憂の花』等四冊、専門書の他随筆を能くし、『迯水居漫筆―観潮樓の花』以降58年まで11冊を数える。迯水短歌会編『鑑賞市村宏の歌』がある。
作品
- 歌集 憂の花 ( 昭和29年 ) → 「憂の花」をさがす
- 迯水居漫筆 観潮樓の花 ( 昭和49年2月20日 溪声出版 ) → 「迯水居漫筆 観潮樓の花」をさがす
- 鑑賞市村宏の歌 ( 迯水短歌会編 平成7年11月10日 渓声出版 <迯水叢書> ) → 「鑑賞市村宏の歌」をさがす