「六條篤」の版間の差分
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− | 明治40年7月25日奈良県磯城郡多武峰村生れ。昭和20年歿。大阪市立東商業学校を経て、天理外国語学校支那語科広東語部卒。郵便局長、のち多武峰の談山神社神主。短歌は、[[青山霞村]] | + | 明治40年7月25日奈良県磯城郡多武峰村生れ。昭和20年歿。大阪市立東商業学校を経て、天理外国語学校支那語科広東語部卒。郵便局長、のち多武峰の談山神社神主。短歌は、[[青山霞村]]主宰誌『カラスキ』、更に『短歌創造』『短歌建設』『立像』を経て『短歌と方法』同人。油絵を描き、独立美術協会展に出品。 |
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2024年9月11日 (水) 00:14時点における版
(ろくでうあつし)
基本情報
よみがな | ろくじょうあつし |
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職業 | 歌人、洋画家 |
生年 | 1907 |
没年 | 1945 |
出生地 | 奈良県磯城郡多武峰村 |
経歴
明治40年7月25日奈良県磯城郡多武峰村生れ。昭和20年歿。大阪市立東商業学校を経て、天理外国語学校支那語科広東語部卒。郵便局長、のち多武峰の談山神社神主。短歌は、青山霞村主宰誌『カラスキ』、更に『短歌創造』『短歌建設』『立像』を経て『短歌と方法』同人。油絵を描き、独立美術協会展に出品。
作品
- 左手の漂影 ( 昭和8年6月1日 短歌と方法社 <文學・方法シリーズ> ) → 「左手の漂影」をさがす
- 年刊歌集 新短歌 一九三七年 ( 阿部悦郞、足立公平、足立輝子、明石貞吉、秋元藤之助、雨野洋夫、靑江龍樹、淺野純一、朝見尚、紅しほり、荒木榮、明井白、靑島幾、井垣寅之助、古田育三、福田廣宣、福田米三郞、藤原緝典、藤井千鶴子、藤本儀行、藤多文一、後藤順一郎、原田福壽、原美千代、原三郞、長谷川誠一、長谷川俊雄、蓮佛重壽、橋本甲矢雄、萩原大助、橋本紫草、半澤孝太郞、速水惣一郎、林亞夫、日北房雄、平田末左兒、平山敦、平山松風、廣江ミチ子、姫田發躬、廣瀨圭子、小畑草頭、今井潔、稻村謙一、飯島貞子、石橋源太郎、石原純、市橋英夫、池谷美代子、池淵鈴江、岩田俊朗、伊澤丑之介、泉ふぢ子、飯村天祐、井上初子、金子廣兄、金子不泣、金子薰園、春日せい子、嘉納とわ、片桐蓉子、勝部五十、河村光枝、川本健太郞、川崎陸奥男、木村砂多夫、小島波留子、小池俊雄、兒山敬一、兒島恒子、久保田正文、久保田安治、草飼稔、草野誠一、桑島定雄、前田夕暮、前川葭壽夫、槇本楠郞、萬利乃壽滿子、松本昌夫、松浦俊夫、松浦四郞、松塚通、美木行雄、南龍夫、南猛、三宅史平、三宅調、三浦桂祐、宮崎信義、宮野佐登、水野義文、水谷敏次郞、村田とし子、最上二郞、森谷文一郞、森谷茂、森脇善夫、村田薰吉、永井久子、長鹽秀男、中多津夫、中島みよし、中村鎭、中野嘉一、那須凌岳、西部恒二、沼欣一、小原猛雄、小笠原長丕、岡本吉二郞、大藏宏之、追分作助、小胎隆俊、太田靜子、大槻三好、酒井不二尾、大中一郞、坂本幸三、坂野健、左近嘉一、佐藤日出夫、坂本正二、朔原勇、佐藤萬里太郞、澤村亞貴羅、關根實、世良延雄、白井尚子、重光久美子、白山友正、柴田達雄、島影脩二、島川庸二、淸水一二、淸水玲三、淸水信、菅野俊朗、須志田ふみ江、砂木宗治、田中火沙子、立石百合子、田尾正、高橋喜惣勝、高橋正雄(歌人)、高木喬、高群郁、高草木暮風、武政杜郞、千葉靑樹、近山伸、高木艸之助、常光貞吉、友常幸一、坪野哲久、土谷麓、月原橙一郞、筒井巖、辻倫夫、津輕照子、月見草一、積惟勝、戸澤好夫、弓泡吉、上田穆、植木利治、瓜生憲、梅田順二、渡邊順三、渡部須加雄、薮内春彦、山田盈一郞、山埜草平、山崎義男、矢代東村、矢嶋歡一、米谷敏夫、吉田須美、吉田睦子、吉田寛一、吉村千代子、湯淺文春、簇劉一郞(北町一郞)、逗子八郞、合著 新短歌クラブ編 昭和11年12月10日 第一書房 ) → 「新短歌 一九三七年」をさがす
- 句抄 淡水魚 ( 昭和15年8月22日 月曜発行所 ) → 「淡水魚」をさがす
- 特別陳列 モダニズムの画家 六條篤展 ( 昭和58年 奈良県立美術館 ) → 「モダニズムの画家 六條篤展」をさがす