「小川芳樹」の版間の差分
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− | 明治35年3月29日東京赤坂霊南坂生れ。昭和34年3月27日歿。地質・地理学者[[小川琢治]] | + | 明治35年3月29日東京赤坂霊南坂生れ。昭和34年3月27日歿。地質・地理学者[[小川琢治]]の長男。大正14年東京帝国大学工学部冶金学科卒。東北、九州、京城各帝大で教えたのち、昭和17年母校東京帝大に転じ、爾来歿時まで冶金学科教授。また原子力関係講座開設に努め、32年開講に及んで教授を兼任。日本鉱業会第二十代会長。平生漢詩、和歌を能くし、遺稿集『技術の表裡』にその一端を附載。他に実弟に就いて記した『隋想湯川秀樹』がある。 |
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2023年10月20日 (金) 23:18時点における版
(をがはよしき)
基本情報
よみがな | おがわよしき |
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職業 | 冶金学者、工学博士 |
生年 | 1902 |
没年 | 1959 |
出生地 | 東京赤坂霊南坂 |
経歴
明治35年3月29日東京赤坂霊南坂生れ。昭和34年3月27日歿。地質・地理学者小川琢治の長男。大正14年東京帝国大学工学部冶金学科卒。東北、九州、京城各帝大で教えたのち、昭和17年母校東京帝大に転じ、爾来歿時まで冶金学科教授。また原子力関係講座開設に努め、32年開講に及んで教授を兼任。日本鉱業会第二十代会長。平生漢詩、和歌を能くし、遺稿集『技術の表裡』にその一端を附載。他に実弟に就いて記した『隋想湯川秀樹』がある。
作品
- 三高八十年回顧 ( 幣原坦、金子登(工学博士)、森總之助、齋藤大吉、高安道成、牧野虎次、荒木和一、博多久吉、小豆澤英男、森川智德、福田爲造、田中秀央、松尾巌、奧山賢、佐武安太郞、越智眞逸、置鹽章、秋山武太郞、三浦寛次、越山均之助、小笠原三九郞、江馬務、澤田源一、石橋榮達、片山哲、大國壽吉、安部晴之助、金森義雄、山本一淸、大和田悌二、竹内可吉、松本敏三、久留島秀三郞、兒玉政介、那波利貞、瀧川幸辰、中村直勝、林良材、桐原葆見、木村廉、矢野禾積、山本修二、中川有三、八木日出雄、小島吉雄、杉捷夫、今中武夫、古松貞一、今西錦司、土居博、泉井久之助、井手成三、井上國勝、江原貞伍、大城富士男、湯淺佑一、村岡隆俊、久米直之、上原浩一、林屋辰三郞、加藤美雄、山岸敏永、三輪佳之、大井尚俊、合著 大浦八郞編 昭和25年4月1日 關書院 ) → 「三高八十年回顧」をさがす
- 遺稿集 技術の表裡 ( 昭和35年3月10日 小川清子刊 ) → 「技術の表裡」をさがす