「内田巖」の版間の差分
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2022年7月16日 (土) 21:54時点における版
(うちだいはほ)
基本情報
よみがな | うちだいわお |
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職業 | 洋画家 |
生年 | 1900 |
没年 | 1953 |
出生地 | 東京 |
経歴
明治33年2月15日東京生れ。昭和28年7月17日歿。作家内田魯庵の長男。大正15年東京美術学校卒。昭和5年フランス留学。8年光風会会員も、11年退会して新制作派協会創設に参加。21年日本美術会委員長、23年日本共産党入党。
作品
- 物射る眼 ( 昭和16年11月10日 京都 立命館出版部 ) → 「物射る眼」をさがす
- 繪畫の美 (油繪篇) ( 昭和18年3月18日 冨山房 ) → 「繪畫の美 (油繪篇)」をさがす
- 父の書齋 ( 有島行光(森雅之)、石川欣一、巖谷三一、飯塚浩二、入澤文明、嘉治瑠璃子、圓地文子、岡倉一雄、小山内喬、大町文衞、厨川文夫、佐佐木信綱、澤柳禮次郞、志賀冨士男、久保田健次、白鳥淸、田口泖三郞、辰野隆、田中荊三、坪内士行、寺尾新、戸川エマ、内藤乾吉、夏目伸六、芳賀檀、馬場昴太郞、廣津和郞、市河晴子、阿部艶子、村井米子、小堀杏奴、森藤子、合著 昭和18年4月15日 三省堂編刊 ) → 「父の書齋」をさがす
- 人間畫家 ( 昭和22年7月5日 寶雲舎 ) → 「人間畫家」をさがす
- 畫家と作品 ( 昭和23年8月20日 高桐書院 ) → 「畫家と作品」をさがす
- 繪畫讀本 ( 昭和23年9月20日 曉書房 ) → 「繪畫讀本」をさがす
- 繪畫の倫理 ( 昭和23年10月30日 書肆一杉 ) → 「繪畫の倫理」をさがす
- 繪畫靑春記 ( 昭和23年12月25日 太和堂 ) → 「繪畫靑春記」をさがす
- 美とヒューマニズム ( 昭和24年4月25日 リスナー社 ) → 「美とヒューマニズム」をさがす
- 私はなぜ共産黨に入ったか ( 出隆、岩間正男、土橋一吉、大澤久明、河原崎長十郞、兼岩傳一、深澤義守、合著 野坂參三序 土橋一吉、岩間正男編 昭和24年4月25日 解放社 ) → 「私はなぜ共産黨に入ったか」をさがす
- 自由の旗の下に 私はなぜ共産黨員になったか ( 出隆、野間宏、梅本克己、本郷新、服部之總、小松攝郞、武林無想庵、井尻正二、河原崎長十郞、森田草平、合著 勞農救援會編 昭和24年4月30日 三一書房 ) → 「自由の旗の下に 私はなぜ共産黨員になったか」をさがす
- ミレーとコロー ( 昭和25年6月10日 岩波書店 <岩波新書> ) → 「ミレーとコロー」をさがす
文獻
- 内田巖 人間画家の生涯と作品 ( 神吉脩著 昭和55年3月1日 兵庫 神吉脩刊 ) → 「内田巖 人間画家の生涯と作品」をさがす