「永井郁子」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす (→作品) |
(→経歴) |
||
14行目: | 14行目: | ||
---- | ---- | ||
== 経歴 == | == 経歴 == | ||
− | 明治26年8月30日東京生れ。東京府立第一高等女学校を経て東京音楽学校声楽科卒。ハンカ・ペツォルトに師事。<ref>現代音楽大観(昭和2年日本名鑑協会・東京日日新聞社)</ref> | + | 明治26年8月30日東京生れ。東京府立第一高等女学校を経て東京音楽学校声楽科卒。ハンカ・ペツォルトに師事。<ref>現代音楽大観(昭和2年日本名鑑協会・東京日日新聞社)</ref>大正9年府立第一高女教授。14年声楽の民衆化を計って訳詩に據る歌唱を主張し、翌年には箏、尺八等の純日本楽器を伴奏に試唱、世評を呼んだ。永井湘南音楽研究所所長。 |
---- | ---- | ||
+ | |||
== 作品 == | == 作品 == | ||
2024年8月30日 (金) 01:43時点における最新版
(ながゐいくこ)
基本情報
よみがな | ながいいくこ |
---|---|
職業 | 声楽家 |
生年 | 1893 |
没年 | 1983 |
出生地 | 東京 |
経歴
明治26年8月30日東京生れ。東京府立第一高等女学校を経て東京音楽学校声楽科卒。ハンカ・ペツォルトに師事。[1]大正9年府立第一高女教授。14年声楽の民衆化を計って訳詩に據る歌唱を主張し、翌年には箏、尺八等の純日本楽器を伴奏に試唱、世評を呼んだ。永井湘南音楽研究所所長。
作品
- 邦訳歌詞問題の前後 轉機 批判篇 ( 大正15年6月18日 噴泉堂 ) → 「邦訳歌詞問題の前後 轉機 批判篇」をさがす
- 永井郁子邦語独唱会歌詞全集 ( 大正15年11月7日 自編刊 ) → 「永井郁子邦語独唱会歌詞全集」をさがす
- 邦訳歌詞問題の前後 轉機 反響篇 ( 昭和2年 噴泉堂 ) → 「邦訳歌詞問題の前後 轉機 反響篇」をさがす
- いばらの道 邦語独唱十六講 ( 昭和7年3月1日 噴泉堂 ) → 「いばらの道 邦語独唱十六講」をさがす
- いぬはりこ ( 天野雉彦、熱田梅子、安倍季雄、飯田幸男、内山憲堂(内山憲尚)、上澤謙二、海老名禮太、小栗吉郞、小野直、川崎小鳥、樫葉勇、葛原𦱳、黑田晴雄、近藤新吉、小池長、關屋五十二、田村宗順、塚本長藏、出村孝雄、長沼依山、西岡英夫、原勝(児童文学者)、坂野移文、藤野福雄、深瀨薫、細川武子、松尾利信、松永亮逸、三村良輔、山田健二、久留島武彦 附録:我等の久留島先生 八波則吉、巖谷春生、櫻井忠溫、沖野岩三郞、葛原𦱳、野村德七、坪谷水哉、金原のぶ、山本久三郞、大坊謹造、西澤笛畝、新島善直、龜山六次、山内秋生、久保武三、笹野豐美、淸元小喜久太夫、分校伊平、藤蔭芳枝、林成子、中村易一、小林花溪、大澤孝司、神根悊生、田村宗順、了戒晋作、朝原梅一、大多和顯、奈良島知堂、伊藤悌二、田邊善一、高畠華宵、竹田津太郞、石野米次郞、吉川笹舟、岡崎久喜、丹羽武美、小野務平、岡田唯吉、中野万吉、中村旭川、古賀毅、古井六彦、齋藤勝子、伊藤廉壽、熊谷勝圓、仲川明、宇野名左衞門、森本六郞、中村賢次郞、島田民治、櫻井久我治、湯淺勝壽、河本乙五郞、宇都宮喜六、佐々木明、關靑峨子、松尾利信、細川武子、大關尚之、袴田五平、伊東靜江、永井靜、隅田嘉史郞、淸水たかし、得重彌太郞、登尾芳江、莊司義孝、鹽田文子、大井光雄、赤枝一葉、倉島鬼城、五十嵐黙雷、仁科節、藤田靜雄、中村善兵衞、村上和三、松澤一鶴、渡邊藤一、定方耀慶、垣内春雄、新谷文子、釘宮辰生、江口春次郞、西村眞琴、竹内道説、高田せい子、鈴木暢幸、高木常七、中村喜兵衞、長野隆義、内山憲堂(内山憲尚)、蘆谷蘆村、ダン道子、小西永吉、川崎小鳥、小池長、木村淸夫、塚本長藏、山田健二、西岡英夫、西野惠之助、下川智潤、長沼依山、白倉文伴、古田誠一郞、足立勤、關屋五十二、森川紫氣、合著 久保田金僊、西澤笛畝、高畠華宵、布施長春、畠野奎三、田中壽太郞、矢島瑞潮、島大作、装幀挿画挿絵 安倍季雄、樫葉勇共編 昭和11年10月7日 家の敎育社 ) → 「いぬはりこ」をさがす
出典
- ↑ 現代音楽大観(昭和2年日本名鑑協会・東京日日新聞社)