操作

「原坦山」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
 
(2人の利用者による、間の2版が非表示)
38行目: 38行目:
 
|刊行年=明治17年4月20日
 
|刊行年=明治17年4月20日
 
|出版社=佛仙社
 
|出版社=佛仙社
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=哲學汎論
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=三宅雄次郞([[三宅雪嶺]])、德永滿之([[淸澤滿之]])、[[橋本武]]、[[外山正一]]、[[岡本監輔]]、[[坪井九馬三]]、[[雲英晃耀]]、[[加藤弘之]]、[[嘉納治五郞]]、[[日高眞實]]、[[井上圓了]]、合著  [[菅野幹]]編集並評
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=明治20年10月
 +
|出版社=林竹二郞、上田捨吉出版 大阪 哲學書房刊 西島捨次、駸々堂本店、玉山堂書店発売
 
|}}
 
|}}
 
{{作品|
 
{{作品|
49行目: 59行目:
 
|出版社=井冽堂
 
|出版社=井冽堂
 
|}}
 
|}}
 
 
  
 
== PDF ==
 
== PDF ==

2024年1月2日 (火) 19:18時点における最新版

(はらたんざん)


基本情報

よみがな はらたんざん
職業 僧侶
生年 1819
没年 1892
出生地 陸奥国磐前郡平村
別名 覺仙、坦山、良作、鶴巢



経歴

文政2年10月18日陸奥国磐前郡平村生れ。明治25年7月27日歿。旧姓新井、諱覺仙、字坦山、幼名良作、号鶴巢。天保4年昌平坂学問所に入り儒学を修めた。11年多紀安叔塾で医術を学ぶ。弘化元年駒込吉祥寺の栴檀林、小石川伝通院学寮等で漢籍を講じた。のち発心して出家、京白川心照寺住職、転じて結城長徳寺住職。明治5年教部省教導職、更に大講義となるも、管長にその性情を嫌厭せられて曹洞宗の僧籍を奪われ、浅草で易者を営む。その後西本願寺法王大谷光尊の知遇を得、その名を学者貴顕の間に知られるに至った。11年総長加藤弘之の聘を受け、東京大学印度哲学科初代講師に任じ、翌年僧籍に復して相州最乗寺住職、18年学士院会員、24年曹洞宗大学林総監となる。


作品






PDF

17616.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ