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嘉永7年7月18日武蔵国足立郡馬室村生れ。昭和16年8月2日歿。号城陽、城陽小史。明治2年父の死後推されて十六歳で村長になり、のち埼玉県に出仕。8年県官を辞して慶應義塾入学。在学中『東京日日新聞』『東京曙新聞』等に論説を寄稿。11年『大阪新報』主幹、次いで『郵便報知新聞』記者となり、紙上で自由民権説を展開した。14年埼玉県会議長を経て、翌年改進党入党。25年衆議院議員(当選12回)となり、実業界でも活躍。大正10年武陽実業学校を創設して校長就任、自ら修身科を担当して教壇に立った。その後、大東文化学院総長。
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(かとうまさのすけ)


基本情報

よみがな かとうまさのすけ
職業 政治家
生年 1854
没年 1941
出生地 武蔵国足立郡馬室村
別名 城陽、城陽小史



経歴

嘉永7年7月18日武蔵国足立郡馬室村生れ。昭和16年8月2日歿。号城陽、城陽小史。明治2年父の死後推されて十六歳で村長になり、のち埼玉県に出仕。8年県官を辞して慶應義塾入学。在学中『東京日日新聞』『東京曙新聞』等に論説を寄稿。11年『大阪新報』主幹、次いで『郵便報知新聞』記者となり、紙上で自由民権説を展開した。14年埼玉県会議長を経て、翌年改進党入党。25年衆議院議員(当選12回)となり、実業界でも活躍。大正10年武陽実業学校を創設して校長就任、自ら修身科を担当して教壇に立った。その後、大東文化学院総長。


作品








文獻



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