「永元南涯」の版間の差分
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2024年6月22日 (土) 21:43時点における最新版
(ながもとなんがい)
基本情報
よみがな | ながもとなんがい |
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職業 | 漢学者 |
生年 | 1855 |
没年 | 1921 |
出生地 | 近江国膳所 |
本名 | 永元愿藏 |
経歴
安政2年近江国膳所生れ。大正10年1月5日歿。本名愿藏。杉浦蕉亭に漢学を学び、のち京都で巖垣月洲に入門。明治8年大阪府立師範学校卒。11年『山梨日日新聞』に入り編集に従事。また杉浦重剛経営の東京英語学校で漢文教師ののち、翌年朝日新聞社入社。15年『京都滋賀新聞』次いで『日本』新聞編集員を経て、24年『大阪朝日新聞』東京支局入社、更に大阪本社に転じて29年まで在社。その後住友本店秘書課勤務、43年退社し郷里で私塾を開いた。
作品
- 膳城烈士傳 ( 本名 明治18年9月 滋賀 自刊 ) → 「膳城烈士傳」をさがす
- 楠陰殘璧 ( 杉浦正臣(杉浦楠陰)著 本名 明治21年12月28日 自編刊 ) → 「楠陰殘璧」をさがす