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文久2年8月20日伊賀国生れ。昭和8年1月23日歿。諱惟秋、字秋卿、通称於菟介。別号古敢堂、少白山人、文のや、杏華盦、源惟秋、玉水廬、碧雲仙館主人、碧雲紅葉山房、磯野の千秋、秋の渚主人、秋渚生、秋處士等。
  
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== 作品 ==
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2024年10月25日 (金) 00:52時点における版

(いそのしうしよ)


基本情報

よみがな いそのしゅうしょ
職業 漢詩人、書家
生年 1862
没年 1933
出生地 伊賀国
別名 惟秋、秋卿、於菟介。古敢堂、少白山人、文のや、杏華盦、源惟秋、玉水廬、碧雲仙館主人、碧雲紅葉山房、磯野の千秋、秋の渚主人、秋渚生、秋處士



経歴

文久2年8月20日伊賀国生れ。昭和8年1月23日歿。諱惟秋、字秋卿、通称於菟介。別号古敢堂、少白山人、文のや、杏華盦、源惟秋、玉水廬、碧雲仙館主人、碧雲紅葉山房、磯野の千秋、秋の渚主人、秋渚生、秋處士等。

藩儒町井台水に師事。明治10年上坂、小学校の助教を経て大阪朝日新聞社入社。西村天囚渡邊霞亭等の浪漫文学会に関与し、木崎好尚と雑誌『小文壇』発刊。関西漢詩壇の雄、また草書、仮名書を能くし、揮毫の石碑も多い。


作品









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