「山田耕筰」の版間の差分
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2023年12月6日 (水) 20:30時点における版
(やまだかうさく)
基本情報
よみがな | やまだこうさく |
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職業 | 作曲家 |
生年 | 1886 |
没年 | 1965 |
出生地 | 東京 |
本名 | 山田耕作 |
別名 | Kósçak Yamada |
経歴
明治19年6月9日東京生れ。昭和40年12月29日歿。本名耕作。筆名Kósçak Yamada。10代の時に実姉、恒(ガントレツト恒)の夫エドワード・ガントレットに西洋音楽を教わる。明治41年東京音楽学校本科卒。43年ドイツ留学。大正4年東京フィルハーモニー創設、6年アメリカに渡りカーネギー・ホールで自作管絃楽曲を指揮、9年日本楽劇協会設立、11年北原白秋と雑誌「詩と音樂」創刊、14年日本交響楽協会を組織、のち欧州各国に演奏旅行、昭和11年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章受章。31年文化勲章受章。
作品
- 近代舞踊の烽火 ( 本名 大正11年7月10日 アルス ) → 「近代舞踊の烽火」をさがす
- 簡易作曲法 (歌曲の作り方) ( 本名 4版 大正13年5月5日 大阪 大阪開成館 ) → 「簡易作曲法」をさがす
- 私の觀た現代の大作曲者 ( 本名 大正13年5月27日 再刊 昭和9年10月5日 大阪毎日新聞社東京日日新聞社 ) → 「私の觀た現代の大作曲者」をさがす
- 音樂の法悦境 ( 本名 大正13年10月20日 イデア書院 ) → 「音樂の法悦境」をさがす
- 式日唱歌 ( 曲 三木露風詩 本名 大正13年10月25日 大阪 大阪開成館 ) → 「式日唱歌」をさがす
- 音樂論 ( 昭和8年11月20日 玉川學園出版部 <玉川文庫> ) → 「音樂論」をさがす
- 耕筰隨筆集 ( 昭和11年9月23日 南光社 ) → 「耕筰隨筆集」をさがす
- 往年の學風 ( 小金井良精、津村秀松、山岸德平、中川清、有島生馬、舟橋雄、小野平八郞、松村松年、安部磯雄、久留島武彦、岡信吉、長與善郞、南郷次郞、櫻井忠溫、米窪満亮、岡本一平、猪股淇淸、小島政二郞、吉江喬松、石井豐七郞、杉村楚人冠、川崎克、宮本武之輔、麻生久、雨宮保衞、丸川久俊、梅澤時子、平塚雷鳥、竹内茂代、河崎なつ、合著 朝日新聞社編 昭和15年8月30日 朝日新聞社 ) → 「往年の學風」をさがす
- 運命判斷 生れ月の神秘 ( 昭和25年12月25日 有樂出版社 ) → 「運命判斷 生れ月の神秘」をさがす
- 自傳 若き日の狂詩曲 ( 昭和26年2月20日 大日本雄辯會講談社 ) → 「自傳 若き日の狂詩曲」をさがす
- わが青春の懺悔録 ( 池田みち子、高橋義孝、中村武志、森田たま、野上彰、小松淸、長谷川幸延、保高德藏、山川菊榮、奧野信太郞、十返肇、宮城千賀子、松尾邦之助、丸岡治、小堀杏奴、大宅壯一、靑野季吉、小倉淸太郞、金子光晴、川田順、白洲正子、中河与一、向井潤吉、松本幸四郞(八世)、荒正人、豐道春海、宮田重雄、曉テル子、澤村宗十郞(八世)、田村泰次郞、澁澤秀雄、野間仁根、淸川虹子、内村直也、長谷川春子、室生犀星、岩井半四郞、永田雅一、石井漠、近藤日出造、合著 近藤日出造編 昭和33年8月1日 雪華社 ) → 「わが青春の懺悔録」をさがす
- 山田耕筰著作全集 全三巻 ( 後藤暢子、團伊玖磨、遠山一行、編 2001年 岩波書店 ) → 「山田耕筰著作全集」をさがす