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慶応3年12月24日和泉国生れ。昭和23年4月17日歿。海軍兵学校、海軍大学校卒。日清・日露戦争に従軍し、のちドイツ駐在。大正3年海軍次官となり、シーメンス事件後の海軍粛正に当る。12年大将、翌年連合艦隊長官、次いで軍令部長、侍従長兼枢密顧問官歴任。昭和11年二・二六事件に遭い重傷。19年枢密院議長。20年4月内閣を組織、主戦派を抑えてポツダム宣言を受諾し、無条件降伏と共に総辞職した。
 
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2021年9月11日 (土) 23:54時点における版

(すゞきくわんたらう)


基本情報

よみがな すずきかんたろう
職業 海軍軍人、政治家
生年 1867
没年 1948
出生地 和泉国



経歴

慶応3年12月24日和泉国生れ。昭和23年4月17日歿。海軍兵学校、海軍大学校卒。日清・日露戦争に従軍し、のちドイツ駐在。大正3年海軍次官となり、シーメンス事件後の海軍粛正に当る。12年大将、翌年連合艦隊長官、次いで軍令部長、侍従長兼枢密顧問官歴任。昭和11年二・二六事件に遭い重傷。19年枢密院議長。20年4月内閣を組織、主戦派を抑えてポツダム宣言を受諾し、無条件降伏と共に総辞職した。


作品







文獻





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