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明治36年6月20日大阪生まれ。昭和43年11月9日歿。第一高等学校を経て京都帝国大学経済学部入学。大正15年京都学連事件で投獄、昭和3年三・一五事件(共産党員一斉検挙)に連座して9年まで入獄。12年ウィーン大学に留学して文化人類学を研究。帰国後帝国学士院嘱託、19年蒙古善隣協会張家口西北研究所次長、24年法政大学教授、26年東京大学教授となり文化人類学教室を開設。のち東北大学教授、埼玉大学教授歴任後、43年多摩美術大学学長就任。日本民族学会会長、また第一次東大アンデス学術調査団団長を務めた。妻の[[石田布佐子]]は出版人[[岡村千秋]]の娘。<ref>人・その思想と生涯(45)石田八弥と石田英一郎 (奥山潤 )[[http://common3.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/095/095_049.html]]</ref>
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2022年12月14日 (水) 18:38時点における最新版

(いしだえいいちらう)


基本情報

よみがな いしだえいいちろう
職業 文化人類学者
生年 1903
没年 1968
出生地 大阪



経歴

明治36年6月20日大阪生まれ。昭和43年11月9日歿。第一高等学校を経て京都帝国大学経済学部入学。大正15年京都学連事件で投獄、昭和3年三・一五事件(共産党員一斉検挙)に連座して9年まで入獄。12年ウィーン大学に留学して文化人類学を研究。帰国後帝国学士院嘱託、19年蒙古善隣協会張家口西北研究所次長、24年法政大学教授、26年東京大学教授となり文化人類学教室を開設。のち東北大学教授、埼玉大学教授歴任後、43年多摩美術大学学長就任。日本民族学会会長、また第一次東大アンデス学術調査団団長を務めた。妻の石田布佐子は出版人岡村千秋の娘。[1]





作品












PDF

15234.pdf

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出典

  1. 人・その思想と生涯(45)石田八弥と石田英一郎 (奥山潤 )[[1]]

参考ページ