操作

「波多野乾一」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
(1版 をインポートしました)
 
5行目: 5行目:
 
{{人物情報
 
{{人物情報
 
|よみがな=はたのけんいち
 
|よみがな=はたのけんいち
|職業=
+
|職業=評論家
|生年=
+
|生年=1890
 
|没年=
 
|没年=
|出生地=
+
|出生地=大分県大分郡津原村
 
|本名=
 
|本名=
|別名=
+
|別名=莽原盧、榛原茂樹
 
|}}
 
|}}
 
----
 
----
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
 
+
明治23年12月23日大分県大分郡津原村生れ。号莽原盧、筆名榛原茂樹。大正元年東亜同文書院政治科卒。[[大阪朝日新聞社]]入社、4年北京留学。その後「東京日日新聞」論説委員、「大阪毎日新聞」北京特派員、「北京新聞」主幹を経て、13年「時事新報」北京特派員ん、昭和3年同論説委員、7年以降外務省情報部、興亜院大東亜省各嘱託、「世界日報」論説委員を歴任。戦後「産業経済新聞」論説委員、同調査室長の他、アジア政経学会、東方文化学会各理事を務めた。支那通として知られた。
 
----
 
----
 
== 作品 ==
 
== 作品 ==
21行目: 21行目:
 
{{作品|
 
{{作品|
 
|冠称=
 
|冠称=
|書名=
+
|書名=支那劇と其名優
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=大正14年3月30日
 +
|出版社=新作社
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=麻雀精通
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=
 +
|別名=榛原茂樹名
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=改訂版 昭和6年3月25日
 +
|出版社=春陽堂
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=支那の知識
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=[[高木陸郞]]、[[太田宇之助]]、[[吉岡文六]]、[[大西齊]]、[[村上知行]]、[[原勝]]、[[高山翹]]、[[尾崎秀實]]、[[有吉明]]、[[宮崎龍介]]、[[芳澤謙吉]]、[[陶希聖]]、合著 [[淸澤洌]]、[[室伏高信]]編
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=昭和12年8月12日
 +
|出版社=靑年書房
 +
|シリーズ名=時局知識シリーズ 2
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=現代支那の政治と人物
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=昭和12年8月20日
 +
|出版社=改造社
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=民族外交の顔
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=[[出淵勝次]]、[[淸澤洌]]、[[松井慶四郞]]、[[石井菊次郞]]、[[市河彦太郞]]、[[笠間杲雄]]、[[藤田榮介]]、[[今泉孝太郞]]、[[長谷川如是閑]]、[[阿部賢一]]、[[小汀利得]]、[[芦田均]]、[[稻原勝治]]、[[竹内夏積]]、[[鶴見祐輔]]、[[酒勾秀一]]、[[馬場恒吾]]、[[湯川盛夫]]、[[村松梢風]]、[[高木健夫]]、[[村田孜郞]]、[[小幡薫良]]、[[三好武二]]、[[須磨彌吉郞]]、[[水谷長三郞]]、[[澤田謙]]、[[尾崎行雄]]、[[日森虎雄]]、[[日笠芳太郞]]、[[芳澤謙吉]]、[[國枝史郞]]、合著 [[竹内夏積]]編
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=昭和15年7月15日
 +
|出版社=岡倉書房
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=毛澤東 中共を担ふ人々
 
|接尾辞=
 
|接尾辞=
 
|共著者名=
 
|共著者名=
 
|別名=
 
|別名=
 
|責任表示=
 
|責任表示=
|刊行年=
+
|刊行年=昭和24年1月25日
|出版社=
+
|出版社=福地書店
 
|}}
 
|}}
 +
 +
 
== PDF ==
 
== PDF ==
 
[[file:19887.pdf|center|1000px]]
 
[[file:19887.pdf|center|1000px]]
34行目: 87行目:
  
 
[[Category:人名辞典|はたのけんいち]]
 
[[Category:人名辞典|はたのけんいち]]
[[Category:未着手|はたのけんいち]]
+
[[Category:完了|はたのけんいち]]

2021年11月5日 (金) 21:56時点における最新版

(はたのけんいち)


基本情報

よみがな はたのけんいち
職業 評論家
生年 1890
没年
出生地 大分県大分郡津原村
別名 莽原盧、榛原茂樹



経歴

明治23年12月23日大分県大分郡津原村生れ。号莽原盧、筆名榛原茂樹。大正元年東亜同文書院政治科卒。大阪朝日新聞社入社、4年北京留学。その後「東京日日新聞」論説委員、「大阪毎日新聞」北京特派員、「北京新聞」主幹を経て、13年「時事新報」北京特派員ん、昭和3年同論説委員、7年以降外務省情報部、興亜院大東亜省各嘱託、「世界日報」論説委員を歴任。戦後「産業経済新聞」論説委員、同調査室長の他、アジア政経学会、東方文化学会各理事を務めた。支那通として知られた。


作品









PDF

19887.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ