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がん次元年8月13日伊予国生れ。昭和9年4月7日歿。諱忠孝、通称恒太郞。別号三樹、三樹のや、三樹堂、孤鶴、餘日庵。明治9年愛媛県変則中学北予学校入学、14年上京して[[中村敬宇]]の同人社本科に入る。帰郷後は村長、県会議員等の公職に就き地方振興に尽力。また眼疾を患い失明するも、40年私立愛媛盲唖学校を創設、大正12年には公民義塾天心園を興して社会教化に従事。一方早くから俳諧に親しみ、明治24年蕉影吟社を結成して俳誌『はせを影』を創刊主宰、[[正岡子規]]の投稿を得、句作の添削も受けた。
 
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2024年3月6日 (水) 20:53時点における版

(もりまうてんぐわい)


基本情報

よみがな もりもうてんがい
職業 俳人
生年 1864
没年 1934
出生地 伊予国
別名 忠孝、恒太郞。三樹、三樹のや、三樹堂、孤鶴、餘日庵



経歴

がん次元年8月13日伊予国生れ。昭和9年4月7日歿。諱忠孝、通称恒太郞。別号三樹、三樹のや、三樹堂、孤鶴、餘日庵。明治9年愛媛県変則中学北予学校入学、14年上京して中村敬宇の同人社本科に入る。帰郷後は村長、県会議員等の公職に就き地方振興に尽力。また眼疾を患い失明するも、40年私立愛媛盲唖学校を創設、大正12年には公民義塾天心園を興して社会教化に従事。一方早くから俳諧に親しみ、明治24年蕉影吟社を結成して俳誌『はせを影』を創刊主宰、正岡子規の投稿を得、句作の添削も受けた。


作品



  • 復刻増補版  一粒米   付、俳句俳論・天心園 (  愛媛文学叢書刊行会編  昭和52年10月15日  愛媛 青葉図書  <愛媛文学叢書> ) → 「一粒米 」をさがす





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