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== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
明治6年10月26日愛知県碧海郡箕輪村生れ。昭和28年11月29日歿。旧姓山田。作曲家[[山田耕筰]]はその弟。櫻井女学院を了へ、女子学院に入るも高等部二年の時に退く。英語の教員検定試験前期を受けて合格し、宇都宮の女子学院分校に赴任。次いで前橋の共愛女学校に奉職。傍ら女子宣教師パミリーの巡回伝道に通訳として同行。明治31年東洋英和学校の英語教師[[エドワード・ガントレット]]と結婚して英国籍となり、外国人妻として法的に正式な手続きをした最初の国際結婚ともなった。34年夫の第六高等学校赴任に伴い岡山に移り、自らは山陽高等女学校の英語教師に就く。日露戦争中、岡山の婦人会で浴衣から作って売り出した割烹着の考案者となった。夙に日本基督教婦人矯風会会員として活動、各種の国際会議に代表列席するなど、[[久布白落実]]、[[守屋東]]と共に矯風会三羽烏の一人として知られた。昭和15年夫と共に日本に帰化。岸登恒とも称す。21年以降矯風会会頭を務める。
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明治6年10月26日愛知県碧海郡箕輪村生れ。昭和28年11月29日歿。旧姓山田。作曲家[[山田耕筰]]はその弟。櫻井女学院を了へ、女子学院に入るも高等部二年の時に退く。英語の教員検定試験前期を受けて合格し、宇都宮の女子学院分校に赴任。次いで前橋の共愛女学校に奉職。傍ら女子宣教師パミリーの巡回伝道に通訳として同行。明治31年東洋英和学校の英語教師[[エドワード・ガントレット]]と結婚して英国籍となり、外国人妻として法的に正式な手続きをした最初の国際結婚ともなった。34年夫の第六高等学校赴任に伴い岡山に移り、自らは山陽高等女学校の英語教師に就く。日露戦争中、岡山の婦人会で浴衣から作って売り出した割烹着の考案者となった。夙に日本基督教婦人矯風会会員として活動、各種の国際会議に代表列席するなど、[[久布白落實]]、[[守屋東]]と共に矯風会三羽烏の一人として知られた。昭和15年夫と共に日本に帰化。岸登恒とも称す。21年以降矯風会会頭を務める。
 
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== 作品 ==
 
== 作品 ==
  
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|書名=家庭と婦人問題
 
|書名=家庭と婦人問題
 
|接尾辞=
 
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|共著者名=[[田中孝子]]、[[奥むめお]]
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|共著者名=[[田中孝子]]、[[奧むめお]]合著
 
|別名=
 
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|責任表示=
 
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2021年7月29日 (木) 19:52時点における最新版

(がんとれつとつね)


基本情報

よみがな がんとれっとつね
職業 女子教育家、社会事業家
生年 1873
没年 1953
出生地 愛知県
別名 岸登恒



経歴

明治6年10月26日愛知県碧海郡箕輪村生れ。昭和28年11月29日歿。旧姓山田。作曲家山田耕筰はその弟。櫻井女学院を了へ、女子学院に入るも高等部二年の時に退く。英語の教員検定試験前期を受けて合格し、宇都宮の女子学院分校に赴任。次いで前橋の共愛女学校に奉職。傍ら女子宣教師パミリーの巡回伝道に通訳として同行。明治31年東洋英和学校の英語教師エドワード・ガントレットと結婚して英国籍となり、外国人妻として法的に正式な手続きをした最初の国際結婚ともなった。34年夫の第六高等学校赴任に伴い岡山に移り、自らは山陽高等女学校の英語教師に就く。日露戦争中、岡山の婦人会で浴衣から作って売り出した割烹着の考案者となった。夙に日本基督教婦人矯風会会員として活動、各種の国際会議に代表列席するなど、久布白落實守屋東と共に矯風会三羽烏の一人として知られた。昭和15年夫と共に日本に帰化。岸登恒とも称す。21年以降矯風会会頭を務める。


作品







文献



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